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「800字文学館」

石神井川はふるさと

新田 由紀子

 石神井川はわが町練馬区を横断して、先は隅田川に注いでいる。石神井公園の三宝寺池を水源としていたのは昔のこと。急激な市街化で湧水は枯れ、武蔵野台地のさらに上部から流れてくる川にその源を譲っている。
 実家のあった貫井という町には、水が湧き出る低湿地があった。その中を、千川上水から水を取り込んだ小川が流れて石神井川へ注いでいた。
 小学校への道は谷戸になった湿地を通る。農家の屋敷林の脇を降りて、小川を渡り、湿地を横切って崖を上る。行き帰りには、摘み草をしたり、湧き水を掘ったり、ザリガニやドジョウをとったり、よく遊んだものだ。線路沿いでは宅地化が始まっていて、「ゴミ山」と呼ばれる埋立地ができていた。まるで宝の山で、古銭やブリキの人形などを拾った。あとで知ったのだが、「ゴミ山」は戦禍で被災した都心の瓦礫の捨て場だったらしい。
 線路向こうの商店街にある中・高校に進むと、石神井川界隈には足が遠のく。いつのまにか湿地は姿を消し、川へ下る薄暗い森も切り払われた。田畑が潰されて道が通り、家が建った。石神井川の土手はコンクリートで護岸されて柵で囲われ、ただの水路と化した。
 電車を乗り継いで都心の大学へ通うようになると、わが家も町も田舎臭く思えた。石神井川を目にすることもなく時が過ぎて、二人の子供を育て上げる頃には、町はありふれた住宅地に変貌していた。
 練馬のチベットと言われていた今の住まいの近くに、有楽町線が開通した。従来の西武線沿線に比べて、駅前商店街はなく、空き地が目立つ。大根畑の下を芋虫をけちらかして掘った地下鉄と、地元では自嘲したものだ。
 駅からは石神井川を渡って高稲荷神社の石段を上がる。川沿いに張り出した境内から立ち並んだ家々を眺める。かつては豊島園の森まで田畑が広がり、農家の屋敷林がこんもりと茂り、タヌキの親子がうろついて蝙蝠が飛び交っていた70年近く前の光景を脳裏に映しながら、家に帰る。

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