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「800字文学館」

未完の四国巡礼

平尾 富男

 四国札所巡りの出発点は徳島市内の「霊山(りょうざん)寺」である。この寺が一番札所となったのは、此処が四国の東北端に位置し、「物事の始まりを東北の方角」とする仏教の習慣に準じているからだ。
 弘法大師はおよそ千二百年も昔にこの場所で、四国に八十八ヵ所の霊場を開くことを祈願したという。
 ― 霊山の釈迦の御前に廻りきてよろずの罪も消えうせにけり ―
 四国一周の旅を思い付いたのは、大学卒業以来二十余年も賀状交換以外の付き合いが途絶えていた徳島在住の友人からの招待状。自宅兼会計事務所の改築完成祝だった。
 折角だからこの機を捉えて『坂の上の雲』の秋山兄弟と正岡子規、『竜馬が行く』の坂本竜馬を輩出した四国をじっくりと見ておきたい。それが学生時代からの熱心な司馬遼太郎愛読者の気持ちでもあった。建て替えられた友人宅の祝宴の前日、鳴門の渦潮見学と夜の巷での歓迎会を開いてくれた友人が、その二日後に市内の札所巡りに連れ出してくれる。
 最初の何ヵ所かを回っておけば必ず最後の八十八番まで巡る運命となるから、いずれの日か四国に再び戻って来ざるを得ない、と友人は言うのだ。先ずは、邪淫しない、お世辞を言わない、悪口を言わない等々、十ヵ条の誓いを立てる。これを守れば弘法大師のお弟子になれるから、是非実行し給えと宣う。この『十善戒』を守る自信は更々なかったが、厳格な表情の仁王像が立つ霊山寺の山門を潜り、遍路を始めることと相成ったのだ。
 過去に犯した罪が消え去るかどうかはさておいて、続く二番から五番の市内の札所を車で巡らされた。その都度お賽銭を投じたわけであるから、多少とも法力による恩恵を期待する。友人には、近い将来四国再訪で残りの札所巡りを誓う羽目になった。道すがら黙々と歩く白装束と金剛杖の婦人たちの姿が目に焼きついた。
 そしてあれから三十年余りが経った。その間に、何度か四国に足を踏み入れる機会を得たが、未だに巡礼は達成できていない。

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