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「800字文学館」

江戸三山縦走記(上野山編)

池田 隆

 王子駅から上野駅までJR京浜東北線に乗ると、右側の車窓は石垣やコンクリート壁で塞がれ、全く視界がない。古地図で調べると、江戸期にはこのルートを石神井川の支流が流れていた。左岸は田圃と沼が広がり、右岸は舌状に伸びた台地である。其処に北から飛鳥山、道灌山、上野山と名前を付けている。
 三山はいずれも桜の名所である。花の季節ではないが、古今に思いを馳せながら三山を縦走してみよう。
 まずは上野(旧下谷)広小路で広重の錦絵を取り出す。松坂屋の位置や大通りの先の上野の森は今と変わらない。大きな荷物を担いだ男衆を従え、踊りと唄の稽古社中らしき女の一団が揃いの傘を差し花見に向っている。さしずめ当時のAKB48である。昔も江戸は女性優位だ。
 上野山の正面には寛永寺の黒門と御成門が並び、その近くのしそめし屋を描いた絵図がある。当時も上野山下は江戸有数の繁華街だった。石段を上ると、右に西郷隆盛の像が立つ。連れの犬は巨大なパンダの看板を見て怯えている。
 左前方の清水堂の舞台に向う。不忍池を背景に円い大枝を描いた広重の「月の松」が有名である。明治期に枯れたその松を再現しようと、今は包帯を巻かれた松が頑張っている。
 現在の上野山は博物館や動物園がある公園として有名だが、彰義隊の戦いで全焼する以前には、幾つもの大伽藍が縦に並んでいた。今の子規球場辺りに吉祥閣、中央広場には左右の文殊櫓を結ぶ空中回廊、噴水池付近に豪壮な根本中堂、国立博物館のところに本坊があった。
「浮絵東叡山中堂之図」(北尾画)はその殷賑ぶりを描がいている。昔も今も変わらぬ上野山の集客力に感心していると国立博物館につき当る。右に折れ本坊から輪王寺に移築された黒門の前に出る。輪王寺の裏手は塔頭が並ぶ端正な邸宅街。さらに奥へ進むと、綱吉や吉宗など歴代将軍が眠る寛永寺墓地がある。その一角に現在の中堂がひっそりと建っている。諸行無常の鐘の音が響いてくるような幻想に陥ってきた。

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