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「800字文学館」

ネズミ捕り

平尾 富男

 1973年に米国本社のあるニューヨークへ転勤となった。それから三年半を過ぎた頃にロサンジェルス支店への異動命令が下る。
 その頃ニューヨークやボストンに住む東海岸のアメリカ人たちは、ロサンジェルスやサンフランシスコのある西海岸地域のことを「ウェスターン・プレイグランド(Western Playground)」と茶化して呼んでいた。ディズニーランドやラスベガスの存在がその理由だったのだろう。
 当時、東京からロス支店に立ち寄る出張者の多くから、飛行機代を節約したり、本社人事に内緒でラスベガスに(財産を増やす目的で?)行ったりするために、車で連れて行けと要求されて困った。ロスからシスコへは当時の最高制限速度の時速80マイルで、途中一度の給油を行って飛ばして七時間は優に掛ったのに、二、三時間で行ける距離と思われていたようなのだ。アメリカ大陸の大きさを実感していなかったからなのだろう。カリフォルニア州だけをとっても、南北に1,125㌔も細長く伸び、日本の本州の北から南までの距離、約2,000㌔の半分強もあるのだ。
 一方、ロスからベガスまでは西から東へ砂漠の中の一本道。距離にして430㌔を、時速130㌔で四時間掛けての単調なドライブとなる。スピード狂ならずともいつの間にかアクセルを強く踏み込んでしまう。すると、数分前までそれらしき姿は全く見当たらなかったのに、いつの間にかハイウェイ上のすぐ後ろに赤と青のライトを点滅させた車が迫っているという次第。上空から警察のセスナが、道路わきの土盛りの陰に潜んでいるパトカーと交信しているのだ。
 一度この砂漠の高速道路を家族帯同で走行中に、後部座席にいた五歳になるアメリカ生まれの息子が叫んだ。
「ダディー、ポリース・カー!」
 見るとバックミラー一杯にパトカーの前面が写っているではないか。子供の手前、「スピード違反はいけないよね」と自嘲気味に言ったものである。
 その息子が日本で成人して車の運転免許を取得し、三年の間に二度もスピード違反で捕まっている。遺伝なのか?

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