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「800字文学館」

穴八幡と一陽来復

大月 和彦

 昨年の冬至は12月22日だった。
 二四節気の一つ。太陽が最も低くなり、物の影が一番長くなる日。東京では夜の時間が昼より4時間50分長かった。

 太陽の光が弱まるので植物の成長が遅くなり、農耕の仕事が少なくなる農民にとって心細い時期だった。
 この日を境に一転し太陽が復活するので「一陽来復」とされ、春の兆しを祝い農耕の再生を願って、村々では神を迎える行事がこの前後に集中して行われている。火=陽=日の復活を祝う、霜月まつり、湯立て神事、小正月のどんど焼きなど豊穣を願う火祭り行事である。

 また、一陽来復は、陰が極まり陽が現れることから、凶事が去って吉事がめぐって来る吉日とも解されている。農耕の再生だけでなく商売繁盛,出世、金運アップ、虫封じなど開運全体を祈願する風潮が一般的になった。

 12月22日の午後、冬至祭と一陽来復の御守で知られる東京早稲田の穴八幡宮に行ってみた。
 一陽来復を祝い、御守を求める参拝客で賑わっていた。馬場下交差点前には長蛇の列ができ、警官と警備員が声をからして整理に当たっている。関東一円から観光バスで参拝客来るのだという。境内は露店が並び身動きが出来ないくらいだった。

 江戸名所図会に「高田八幡宮――世に穴八まんといふ」と描かれているこの八幡宮は、境内にある岩穴から阿弥陀仏像が出たのでこの名がついたという。

 隣接して放生寺があり、同じく冬至祭の参拝客で賑わっていた。この寺はもともと神仏習合時代には穴八幡宮の別当寺(神宮寺)だった。ここでは「一陽来福」の御守が配られている。

「一陽来復」の御守は、冬至から節分までの間に社殿で頒布する。頒けてもらった御守は恵方の方角(今年は南南東)に向けて貼ると、金運上昇などのご利益にあずかれるという。
 ふっくらとした御守には、キンカンとギンナンの実が入っていて、柚子と併せると「金運融通」に通じ金運が開けると信じられている。

(16・1・13)

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