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「800字文学館」

関宿を訪ねる

野瀬 隆平

 橋幸夫のヒット曲に、『潮来笠』がある。
「ここは関宿 大利根川へ 人にかくして流す花」
 という歌詞で、「関宿」という地名があるのを初めて知った。どうも利根川沿いにあるらしい。

 江戸時代初め、関東平野の川の流れは、現在とはかなり違っていた。家康が江戸に入った時、町を水害から守るため、また河川交通の便のために、利根川を改修しようと考えた。利根川の「東遷」と呼ばれるものだ。それまで江戸から海に注いでいた川を東に移し、銚子の方へと流れを変えるのである。
 この東遷工事は単に治水や水運のためだけではない、との説を唱える人もいる。江戸城と要衝の地である房総を、北からの攻めに対して防御する意図もあった。利根川と平行して、銚子へと流れる鬼怒川や小貝川があり、そのわずかな幅の陸路を通って、北から攻め込まれる恐れがある。それを防ぐために、堀の代わりに川で食い止めようしたというのだ。その要害の地にある場所こそが、「関宿」なのである。

 意味深い地である事を知って、訪ねてみたくなった。関宿は町村合併の結果、野田市の一部となっているが、少々、交通の便が悪い。柏に住む友人の車で一緒に行くことにした。
 柏から一時間ほどで、車は目的地に近づいてきた。進行方向の左右両方に川が流れているのが分かる。二つの川、利根川と江戸川が接する地にある関宿の町に入ってきたのだ。やがて、城のような建物が見えてくる。お城ではない。関宿城博物館である。この地の河川がどのように改修されてきたかを、模型などを使って分かりやすく展示している。
 天守閣のような最上階に昇ると、北側の眼下には利根川が流れている。東京は真南の方向にある。大きな建物が無かった江戸時代には、江戸城が見えたに違いない。天気がよければ、富士山が眺められるというのだから。

 博物館を辞した後、鈴木貫太郎の記念館に立ち寄った。幼少の頃、この地で育ち、引退後もここで余生を送った、終戦当時の首相である。

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