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「800字文学館」

羽生結弦と野村萬斎

斉藤 征雄

 昨年テレビで、羽生結弦がグランプリファイナルで三連覇した映像を観た。このスポーツに詳しいわけではないが、難易度の高い演技構成をほぼ完璧に演じた演技は、素人の私にとっても美しく見ごたえのあるものだった。

 番組では、羽生が大会前に狂言師の野村萬斎を訪ねたことが紹介された。彼のプログラムのバックが、映画「陰陽師」のテーマ曲なので、安倍清明を演じた萬斎を表敬したのである。その中で萬斎が次のような意味のことを言っていた。
「能、狂言は型の演技ですが、スケートも同じように見えます。たとえばジャンプですが、予定されたタイミングで予定されたジャンプの型を演じますね。観客もここで飛ぶということを知っているから期待します。この決まった型を観客の期待通り正確に演ずることが、一見易しそうに見えてなかなか簡単ではありません。型の演技を行う者の宿命と言いますか、スケートをみてもその緊張感、難しさがよくわかります」

 日本の文化は多くの領域で型をもっている。型は、古くは和歌や連歌などにもみられたが、身体の動きに型をもちこんだのは能を大成した世阿弥である。
 型が身体の動きで表現されるならば、身体が型を演じられるかどうかが問題である。したがって世阿弥は身体が型を演じる訓練つまり稽古を重視し、演者に徹底的な型の反復稽古を求めた。身体が一定の型を演じられるようになるまでは自由な創造が許される余地はないのである。
 このように、修行の過程でひたすら型を反復稽古する考え方は、能から始まって各種芸能に広まり、スポーツや技能さらには教育などさまざまな分野に影響を与えて今日に至っている。

 羽生は、優勝のインタビューで感想を聞かれ、次のような言葉を返した。
「自分のイメージしたものを演じてくれた自分の身体に、ありがとうといいたい気持ちです」
 萬斎や羽生の感想は、徹底的に厳しい稽古を成し遂げて型の真髄を身につけ、一流の高みに到達した者だけが、自然に言える言葉と思った。

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