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「800字文学館」

神猿

平尾 富男

 昨年に引き続き、赤坂の日枝神社に初詣祈願に行った。
 普段は神社仏閣からは遠ざかった生活をしていながら、毎年新年になると地元の氏神様にお参りするだけでは満足せず、電車に乗り片道一時間以上も掛けて大きな神社に行くのは、人に誘われるからであって、決して信心深いからではない。
 多勢の参拝人に混じって神社にお参りをした後、引いた御神籤には「大吉」とあったのでまずは一安心! そこに祀られている神を信じない者が、御神籤の内容を見て一喜一憂するというのもおかしな話だが……。
 普通、神社の入り口には山門が構えられていて、正式には金剛力士像と呼称される仁王像、「阿形(あぎょう)」「吽形(うんぎょう)」の二像が門の左右に並んでいる。阿とは口を開いている、また吽とは口を閉じている仁王像を呼び、ここから阿吽の呼吸という言葉が生まれたのだ。
 山門は三門とも呼ばれ、正式には三解脱門という。三つの解脱(悟り)を求める者、言い換えれば「仏教を学ぼうとする人」だけがここを通って入堂を許されるという暗黙の関所の役割をしている。とはいっても初詣での混雑の中に、悟りを求めて参詣に来た人は何人いただろうか?
 さて日枝神社なのだが、猿を神の使いとして大切にして来た神社であるから、その山門の中には神猿(しんえん)の像が祀られている。「まさる」とも呼ばれる猿の像で、「何事にも勝る」とか「魔が去る」に通じるとされて信心を集めているという。2016年申年の幕開けに日枝神社に参拝することは特に意義があるのだろう。
 そもそも申年(さるどし)の申の字には猿の意味はないのだが、漢字の語源をさかのぼると稲妻が地上に向かって伸びる様相を表したらしい。古の日本人は、天空を走る光に神そのものを感じ、神が何かを人間に伝える姿をそこに観たのだ。相手に何かを伝えるということから「申す」の意味が引き出され、「申告」「申請」等の用語が生まれたというのも面白い。

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