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「800字文学館」

再び妖怪鵺(ぬえ)について

藤原 道夫

 以前に書いた「妖怪鵺は成仏できるのか」をある人に見て貰ったところ、“どうして鵺は夜半に御所上空に現れて天皇を苦しめるの”という質問が返ってきた。そこで改めて鵺について考えを巡らせてみた。
 先ず鵺の正体。『平家物語』によると、撃ち落された化物を人々がかがり火で照らしてみると、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、四肢は虎のようだった。この姿はギリシャ神話上のキメラに似ているではないか。何らかの影響を受けて考え出されたか。こんな動物が雲と共に空中を移動できる訳がない。正に妖怪変化、それは夜半に出没するのが相応しい。
 その鵺が何故天皇(近衛院)を苦しめたのだろう。このことについては、天皇の時代背景を考察する必要がある。父鳥羽上皇が崇徳天皇を嫌ったことが発端となり、永治元年(1141年)三歳の近衛天皇が誕生した。後の天皇は眉目秀麗、和歌に優れていたと伝えられている。しかし虚弱体質で目を病み、節会の際にも御帳を出ることがなかったという。天皇は十七歳で崩御した。当時病は悪霊や怨霊にとりつかれたために罹るとされていた。そこで鵺のような妖怪が創作され、物語に取り込まれたのであろう。鵺が退治されたことにより、天皇の病は一時快癒したようだ。
 天皇の周辺も複雑だ。摂関家の権力争いが熾烈で皇位継承に絡んでくる。御所を警護する武士と僧兵との対立も激しかった。天皇の心労の大きさが察せられる。こんな背景も妖怪が入り込む素地となったのではないだろうか。
 鵺の行為として、天皇を苦しめたこと以外に記載がない。天皇の威光を損なう行為は、当時重罪に相当した。鵺は当然滅ぼされ、その亡骸は空舟に閉じ込められて川に流された。『平家物語』ではそこまで。ところが能『鵺』ではその亡霊を成仏させることが主題となる。何故妖怪の霊が救われるのか、ここに能の作者世阿弥の仏教観が浮上してくる。これをどう説明できるのか、能『鵺』は大きな問題を提示している。

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