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「800字文学館」

あ、そういう意味の歌詞だったの

藤原 道夫

 子供の頃、意味も分からずにうたっていた歌が多かった。
 戦後間もなく、英語の歌が急に拡がった時期がある。「ボートの歌」もその一つ。メリー メリーが分からなかった妹は、うたいながらボートがめりめり壊れるようで、怖い歌だと思ったそうだ。「オールド ブラック ジョー」もうたわれた。出だしから意味が分からなかった。ベターランダイノーとは何のことかちんぷんかんぷん、ただ不思議な響きに聞こえた。この歌は中学生になって英語の歌詞を知り、すべてがはっきりした。と同時に、日本語の訳詩には原文に込められている深い宗教性が失われていることも理解した。
 日本の歌も意味も分からず、いい加減にうたっていたに違いない。
 私にとってとりわけ思い出深い歌がある。昭和二十年代、会津の山村にも子供たちが大勢いた。村の中心を通っている道路には自動車も自転車も走ってくることがなく、子供たちは道いっぱいになって鬼ごっこや「だるまさんころんだ」などで夢中になって遊んだ。女の子たちが調子よく毬をつきながらうたっていた歌がある。「旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の ところはいずこ水師営」(後日分かった歌詞を書いた)。小学生の私も、乃木大将のことは少し知っていたが、ステッセルが何者なのか分からなかった。不可解だったのは水師営。東北弁ではの発音があいまいで、時に標準語と逆になる。「すいすいえ」とでも発音されていたのだろうか。これが何のことかさっぱり分からなかった。歌詞全体としておぼろげだったが、メロディーが記憶された。
 それから四十数年後『坂の上の雲』(司馬遼太郎)を通読し、すべてが解決した。二番の歌詞(庭にひともと棗の木 弾丸跡もいちじるく……)もはっきりした。“あ、そういう意味の歌詞だったの”おぼろげな記憶が蘇り、歌詞の意味と背景とがすっかり分かった。その時は歌に昔の山村風景が重なり、ひとしお感慨深い思い出に浸った。

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