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「800字文学館」

しっかり生きてます

稲宮 健一

 「性を通じて生を描く」と述懐したのは吉行淳之介である。彼の小説が卑俗だとの批判への反論だ。吉行は1924生まれ、学徒の兵役を経験したり、闘病生活をしたり、戦後の生きずらい時期に青春を過ごした。その頃、月給一万円程の時代、重苦しい時代に女性の中に生きる証を求めて文章に表現した。
 戦後まもなく、今読んだら何て言うことない伊藤整の小説が刑事訴追を受けて有罪になっている。ジェラール・フィリップ扮するモディルアーニの裸婦像が飾ってある部屋に刑事が入ってきて、ステッキで毛が描かれているところを指す場面を思い出す。洋の東西を問わず、性に関する取扱に煩わしさがあり、時代と共に変わる。

 八百万の神、倭国は自然と融合して生き、縄文時代の土偶では女性を象り祈念の象徴にした。神話の時代に男女の交合を五穀豊穣、子孫繁栄と結び付け、おおらかに表現した。道祖神では村の安全祈願と同時に、子孫繁栄を祈念して、男女の象徴を表した像も見られる。このような底流があって、男女の交合を素直に表現する発想が芽生えた。
 細川様の永青文庫の春画展によると、写実的に絵として描かれて始めたのは平安時代であった。その伝統を引き継ぎ、長い平和が続いた江戸時代に春信や、歌麿など著名な浮世絵師が競って傑作を残した。春画だから、画家が頭に描いたデホルメし、誇大に表した局部が絵の中心であるが、それだけでなく、男女の満ち足りたうっとりした表情が生きている喜びの息遣いを正直に表している。

 十七、八世紀の西欧では絵画は宗教画で女神の名のもとに魅惑的な裸婦像が描かれた。ゴヤが初めて実在の裸婦「裸のマハ」を描き物議をかもした。十九世紀の終わりには、クリムトが性愛にひたる女性を描いたが、春画は描かれなかった。西欧に渡った春画は、人々にとって、宗教的なタブーを露わにしたものだが、男女の和合は人類共通の生きざまであるので、当時の浮世絵師の豊かな表現力に賛意を持って迎えられた。

(二〇一五・十一・二六)

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