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「800字文学館」

北イタリアの小さな村の教会へ

藤原 道夫

 ナポリの北方約50kmにサンタンジェロ・イン・フォルミスという村落がある。同名の教会の壁面に描かれたフレスコ画(11世紀後半)は、ロマネスク様式の傑作として知られている。十年ほど前に団体旅行でナポリに一週間滞在した折、自由行動日を使ってその教会を訪ねた。
 先ずナポリ中央駅から電車に乗り、村に最も近そうなカプア駅まで行った。駅前広場にバスもタクシーも見当たらない。一緒に降り立った若い女性にバス停はどこか尋ねたところ、この辺にはないと言う。さてどうすべきか困った。その様子を察してくれたのだろう、彼女は一緒に来るように合図し、駐車場に停めてあった自分の車の助手席私を乗せ、駅から離れているバスターミナルまで連れて行ってくれた。
 見かけたバス運転手に訊ねると、教会方面に行くバスの便はない、村の中心部の駐車場にタクシーがいると言う。5,6分歩いてタクシーらしい黒塗りの車を見つけた。運転手は大柄な身だしなみのよい白髪の男性。「ここから教会まで行きたい。そこで3,40分待って貰い、またここまで戻りたい。いくらか」必要なことを片言のイタリア語で端的に問うた。運転手は無愛想に「13ユーロ」と答えた。直ちに決めた。
 教会内部の壁面はフレスコ画で埋め尽くされており、色彩が見事だった。予定より長く待たせたタクシーに戻ると、寡黙な運転手が「よかったか」と聞いてきたので、「素晴らしかった」とお世辞抜きで答えた。出発地に戻って料金を確認すると、最初と同じだった。チップをはずむ。運転手は初めて笑顔を見せ、「グラツィエ」と言ってすぐ近くのバールに向かった。私も後を追うように入った。香り高いエスプレッソを味わいながら、フレスコ画を見ることができた幸運に感謝。
 帰りは教会のフレスコ画を思い出しながら駅までのんびり歩いた。時折紳士然としたタクシー運転手と自家用車に載せてくれた親切な女性の姿が脳裏を過った。

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