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「800字文学館」

わが街、初台

斉藤 征雄

 初台に住んで15年になる。地域の老人囲碁会にも入れてもらったからわずかだが顔見知りもできてきた。なので、ようやくわが街といえるような気がしている。
 この街は新宿から一駅だから、住所が渋谷区というと知らない人はへえ~といった顔をする。このあたりは渋谷区と新宿区が入りくんでいるのだ。ちなみに初台と甲州街道を隔てたオペラシティは新宿区、新宿駅南口にある高島屋は渋谷区という具合である。

 初台という名前の由来は、江戸時代ここに初台局という人の屋敷があったことに拠るらしい。
 初台局は土井昌勝の妻であるが、秀忠の乳母に抜擢されて大奥にのぼった。昌勝の兄は幕府の重臣土井利勝。そしてこの利勝は家康の落胤だったという説が濃厚で、土井家は家康の命で利勝を引き受け家督を譲ることを余儀なくされたという。昌勝にとってみれば自分が継ぐべき家督を利勝に横取りされたようなものである。その見返りに妻が抜擢されたというのがもっぱらの見方である。初台局は晩年、当時の代々木村に二百石の知行地を賜り隠居した。そこが今の初台になったといわれる。
 さらに蛇足ではあるが、初台局の娘(昌勝との子)も次の将軍家光の乳母となり梅園局となった。梅園局が創建した正春寺が初台の近く代々木三丁目に残っている。

 また、このあたりには代々木公園、明治神宮、新宿御苑、新宿中央公園など緑豊かな公園が多い。初台を拠点にこれらを散策するのが私の老後生活に欠かせない楽しみになっている。

 思えば18歳で生まれ故郷を離れ、各地を転々と移り住んだ。ざっと八都府県十ヶ所にもなるが、今の初台にあと三年住めばここが最長となる。そして恐らくこの地が私の「終のすみか」になるだろう。
 15年住んだだけだがそこをわが街といい、長老でもないのに街の歴史を語り、わがもの顔にそこいらを歩きまわるのは街の人びとには迷惑かもしれないが、故郷を捨てた人間のはかない姿とご理解いただきご勘弁を願う次第である。

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