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「800字文学館」

三つの「さん」

野瀬 隆平

「さあ、この『おぶくさん』、お供えしてきて」
 朝、ご飯が炊きあがると、母は先ず一番に仏様にお供えする小さな器によそい、私に手渡す。陶器でできた器には、白いご飯が見事に円錐の形に盛られている。我が家ではこれを「おぶくさん」と呼んでいた。
 仏間に向かい、細長い唐紙を開けると、お仏壇が現れる。黒い木の扉を開くと中からお線香の匂いが漂ってくる。昨日のおぶくさんを下げて、まだ温かいおぶくさんを供える。
「おぶくさん」という呼び方は、あるいは両親が育った近江の方言かも知れない。仏様に供えるご飯、御仏供(おぶく)に「さん」を付けたものである。
 下げてきたおぶくさんは、ご飯が固くなっていて、そのままでは食べにくい。母親だったか祖母だったか、ご飯茶碗に移し熱いお湯をかけて食べていたのを覚えている。
 子どもの頃は、ほとんどの家に仏壇があり、毎日仏様にお供えをして拝んでいたものだ。しかし、昨今では、住宅事情のせいなのか、宗教心が薄れて来たからなのか、仏壇のある家が特に都会では少なくなっている。

 信仰が篤かった母は、機会あるごとに仏壇の前に座って拝んでいた。ご先祖の命日には、自宅に「ごえんさん」に来ていただいていた。ごえんさんとは、檀家となっているお寺の住職のことである。これも一般的な言い方ではなく方言なのだろうか、親たちはそう呼んでいた。御院様(ごいんさま)がなまったものらしい。
 お仏壇の前に座ったごえんさんの後ろに、家族が並んで座る。
「あんたもちゃんと座って、『まんまんさん』するんですよ」と母に促されて、一番後ろにちょこんと座り、手を合わせる。
「まんまんさん」は、南無阿弥陀仏が「なんまいだ」となり、更に言いやすいように変化した幼児語で、仏様を拝むことだ。

 あれから何十年もの月日が経った。大人になってから家の中で宗教的な行いをすることは、ほぼ皆無であったが、近ごろこんなことを思い出すのは、歳のせいだろうか。

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