作品の閲覧

「800字文学館」

「パーマーストン会」

都甲 昌利

 私は1990年から3年間ロンドンに勤務した。当時、英国に進出している日本企業の代表者の親睦会として「パーマーストン会」という会があった。毎月一回会合があり新年には日本大使が出席され講演がある。主として日英間の通商、産業、金融、文化問題について話し合う昼食会を含む懇親会である。今、世界各地にある「日本人商工会議所」のようなものである。

 この会の沿革を調べてみると、最初の会合は実に大正10年。当時、ロンドンに進出していた企業は日銀、横浜正金、三井、三菱、住友、台湾、朝鮮の各銀行、日本郵船、大阪商船、山下汽船。川崎汽船の各船会社、三井物産、三菱商事、住友商事、鈴木商店などの商社が進出していた。駐在員数は大使館員を入れても約150人だった。駐在員たちは今も昔もそうだがランチをどこでするかが頭痛の種だった。やはり日本食が恋しかったようで、ウエストエンドには数軒日本料理店があったが、シティにはなかった。やがてシティにも「Cityときわ」というレストランができて、支店長クラスも部下たちも格好な昼食の場になった。ところが今では考えられないが、格式を重んずる英国故、支店長クラスは一般社員と区別をし、ビショップゲートとオールド・ストリートの間にあった「パーマーストン・レストラン」の一室に集まり食事をするようになった。これが「パーマーストン会」の始まりである。常時、20人位が集まった。このレストランは山高帽の英国紳士しか入れないほど格式が高かった。

 第二次世界大戦中は中断されたが、戦後再開され日本経済の成長とともに企業数も多くなり、会員も200人以上となり会場も手狭になり、会場をテンプルの「ハワード・ホテル」に移した。この会の特徴は幹事が交代で運営に当たり、会長なとの役職を一切置いてないことだ。

 私はこれまでモスクワ、シカゴ、ブラッセルに勤務し、各地で日本人会に所属したが、この「パーマーストン会」が一番印象に残っている。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧