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「800字文学館」

聴く場所で違う

野瀬 隆平

同じ日に、同じコンサート・ホールで、同じ楽団の、同じ曲の演奏を二度、続けて聴いた。違っていたのは、ホール内での聴く場所だけであった。めったに無いことだ。

 オーケストラについて学ぶ講座に参加した。3回の座学では、楽器やオーケストラの基本的なことを学び、最終回はサントリーホールで東京都交響楽団の演奏を聴く。しかも、演奏会に先立ち行われる「ゲネプロ」と称する直前の練習風景も見学するというコースである。
 ゲネプロでは、指揮者が曲の途中で演奏を止めて、色々と指示を与えることがあるが、この日は曲を中断することなく、ほとんど最初から最後まで通して演奏した。従って、実質的には同じ曲をほぼ2回聴くことになったのである。
 ゲネプロの時は、講座の参加者40名ほどが2階の最前列に近い中央の席で聴いた。他には観客は誰もいない。
 先ず、ど肝を抜かれたのは、フォルテッシモで奏でる金管楽器の音である。ワーグナーの歌劇『ローエングリン』第三幕への前奏曲は、まさに派手な音色で聴衆を圧倒するにはぴったりの曲である。指向性の高いトランペットやトロンボーンの朝顔の様に開いたベルが、すべてこちらに向いていて、音が一直線に飛び込んでくる。
 舞台から離れた2階席でも、これだけの迫力があるのだから、1階のしかもステージに近い席で聴く本番の演奏は、もっとすごいだろうと大いに期待した。

 さて、本番の演奏が始まった。
(あれ、ゲネプロでの演奏ほど迫力がないではないか……)
 確かに、音の指向性の低い弦楽器、特に近くで奏でられるチェロやコントラバスの響きはすごい。けれども金管楽器の音は、どうも頭の上を通り過ぎてゆくように思える。

 最後の曲は、チャイコフスキーの『序曲1812年』。大砲の音は、大太鼓が力任せに叩かれて腹にずしんと響き、正に迫力満点だった。
 昔、ロンドンのハムステッドで聴いた野外コンサートでは、本物の大砲が使われていたのを懐かしく思い出していた。

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