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「800字文学館」

雲取山の雷

新田 由紀子

 前日の天気予報で嫌な感じがした。
 梅雨明け十日の猛暑快晴。そろそろ崩れるかと思ったら、案の定明日は局地的に雷雨、特に山間部は注意が必要とか。
 慎重派なのでそんな日に山に行かない。ところが、リュックを背負って出かけてしまった。行先は雲取山。しばらく腰痛で行けなかったし、この夏念願の鳥海山ツアーが来週に迫っている。体調を確認しなければならない。
 翌日の天気図は快晴のち雨、降るのは夕方からのようだ。10時に登り始めれば4時には雲取山荘に入れる。大したことはないだろうと。早朝に新宿駅を発ち奥多摩駅からのバスで登山口に着く。
 長い植林帯から尾根に出て、道が岩混じりになると七ツ石山が近い。巻き道を行く。時刻は1時過ぎ。と、ポツポツと雨が落ちてきた。石をころがすような音は雷か。最悪だ。夕方からのはずだったのに。七ツ石小屋に上がろうか。雨足が激しくなった。いきなり、近くでバリバリドッカーンときた。腰が抜けてその場に屈み込む。奥多摩小屋はあと1時間だ。ピカッ、ドッカーンの間を恐る恐る前へ進む。
 小屋の引き戸に手をかけると、強風で建物が軋んだ。バラバラと霰が落ちてきた。無帽の男性が頭を抱えて飛び込んでくる。薄暗い土間は避難者で溢れた。寒くなって防寒着を着るが、温まらない。すわ、低体温症か。行動食を口に入れ、声を出して気力を保つ。既に四時を回っている。このままここに素泊まりにしようか。
 雷雨は2時間も続くと小降りになった。雷鳴は向かいの峰に移っていた。そろそろと出ていく人たちに続いて歩き出す。山頂までは広いむき出しの道だ。手前の小雲取の坂を急ぎ足で越えて、山頂は5時。あと20分で山荘だ。原生林の中の木の根と岩のからむ道を降りていく。赤い屋根が見えた。
 何事もなかったかのように、夕食後の山荘では恒例の音楽祭が開かれた。表では焼肉やお酒がふるまわれ、宿泊客がさざめく。青黒い空には澄んだ満月がかかって、山荘の笹飾りを照らしていた。

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