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「800字文学館」

憲法違反

稲宮 健一

 一票の格差が二倍以上はほとんど憲法違反との最高裁の判決を受けて、国会は重い腰を上げて対策を講じている。職業政治家の首がかかっているが、憲法違反を突きつけられては動かざるを得ない。

 では九条はどうか。先ごろ、公聴会に出席した憲法学者が声をそろえて、安保法制の解釈は憲法違反と判断した。学者を招いた与党は鳩が豆鉄砲を食らったようにうろたえた。九条の条文を素直に適応したら、憲法違反の判断がでてくるのはしごく当然のように思える。でも、これで終わっては面白くない。

 最高裁は憲法を基準にして、判断を下すのが役割りであるが、こと九条に関してはその判断基準たる憲法が社会情勢と合わない。自分の判断基準が社会情勢を正確に判断する能力を失っているのだから、九条の案件が挙がってきたら、国会にしっかり議論しろと、突きつけるべきと考える。国会が大原則を今まで疎かにして、偏狭な解釈論ですり抜けてきたのが、現状ではないか。

 昭和の初期、五・一五、二・二六、要人の暗殺を通じて、言論を封殺し、軍人が国家権力を握り、戦争に突っ走ったのは事実だ。そして敗戦後、二度と自ら戦争を起こさないと誓った九条は敗戦後の民意を反映していたと考える。そして、冷戦が終了するまで、争いは大国米ソの対立であって、日本が争いの前面に出ることはなかった。その為、九条の論議は、改憲派は外国の押し付けは改憲すべきとし、護憲派は改憲すると戦争になるという神学論争に明け暮れた。具体的な日本の安全保障への思考停止が続いた。

 ソ連の崩壊で、平和の時代が訪れるとの期待感もあったが、現実はテロと局地での争いが以前に増して頻発するようになった。また、周辺の国々が活発に軍事的な誇示を画策するようになった。そのような世界情勢の変化に合わせ、国の安全をどのように守り、かつ予期せぬ争いに巻き込まれない備えは何かという本質的な議論は真剣にすべきだ。拙速に決めるのでなく、熟慮が求められる。

(二〇一五・七.二三)

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