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「800字文学館」

「老人はただ消え去るのみ」か

野瀬 隆平

 若い警官がこちらに近づいてきた。
「名前を聞いてもいいですか」と話しかけてくる。
 一瞬、何か悪い事でもしたのかと、ドキッとする。
 成田空港で電車を降り、第三ターミナルに向かおうと、ロビーでうろうろしていた時のことである。

 札幌に行くのに、今回初めて格安航空会社の便を使うことにした。搭乗口が少し離れたところにある第三ターミナルだと聞いていたので、早めに成田に着いていた。復路も同じ航空会社の便なので、帰りも迷わずに電車に乗れるようにと、電車の時刻表を眺めながら、辺りをキョロキョロ見回していたのである。
 この姿が、警官の目に留まったのだ。

 耳にイヤホーンを付けた警官が、言葉を続けた。
「いや、老人が空港に迷い込んで、徘徊しているとの情報があったものですから……」
 有り体にいえば、認知症の老人ではないかと疑われたのである。会話を交わしているうちに、その疑いも晴れて警官は立ち去って行った。

 数か月前、運転免許証の更新にあたり、認知機能のテストを受けた。いくつかの絵を見せられ、直後に簡単な数字を扱う別の作業を敢えてやらせ、先ほど見た絵をどれだけ覚えているかというテストである。良い点をとり、まだまだ大丈夫と気をよくしていたが、外から見ればれっきとした老人。ぼけているのではと見られても、おかしくない年恰好なのである。
 いや、喜寿を過ぎて、これといった用もないのに各地をうろつき回っているのだから、正に徘徊老人かも知れない。

 超高齢化社会になり、老人が経済的に世間様の足を引っ張っているのは事実である。特に若年層からは冷たい目で見られ、居心地がよくない。早く消え去るよう望まれているのではと思うのは、まんざら年寄の僻みではなかろう。
 しかし、近ごろのきな臭い動きを見るにつけ、戦争から今日まで日本の歴史とともに生き抜いてきた世代としては、簡単に「消え去る」訳にはゆかない。今こそ何か果たすべき大きな役割があるのではないか。

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