作品の閲覧

「800字文学館」

今宵も謹んで一献

斉藤 征雄

 大昔、酒は神に供えるもので人間はそのお相伴に預かるだけの立場だった。それぞれの家では神に供える日に合わせて酒を造る。それを神棚に供えたあと皆んなで飲んだ。そこには神と一体になるという思いもあったという。
 神様そっちのけで、人間様だけで酒盛りを始めたのは、甕に代わる樽の発明によって貯蔵、運搬の利便が向上したためといわれる。平安末に樽が発明されると、各地に酒屋が出現していつでも酒を調達できるようになったのである。鎌倉幕府は御家人の生活が乱れることを恐れて「沽酒の禁」を出して酒の売買を禁じたがその勢いは止まらなかった。室町時代の京都には、三百軒を越える酒屋があったという。

 庶民が広く酒を飲むようになったのもこの頃からである。ただ、一人で飲む習慣はなく祭や寄合に集まって大勢で飲むのが常であった。そして大盃で廻し飲みをしたのである。たとえば、三つ組の大盃を一巡すると三献になる。それを三回繰り返すのが三三九度だった。
 しかし飲みたい量に個人差があるので廻し飲みに不満が出るのは必定である。そこで考えられたのが、めいめいが勝手に飲める猪口である。そして猪口の出現によって、一人で酒を飲む者が現れたのは自然の流れだった。
 居酒屋の発祥は江戸時代らしい。それまでは酒屋は酒を飲む場所ではなかった。人びとは家で飲んだのである。しかし奉公人や居候は家で自由に飲むわけにはいかない。そういう人のために「居酒致し候」という貼紙を出して店先で酒と簡単な肴を提供する酒屋が現れた。それが居酒屋のはしりといわれる。酒屋の店先で升の角に塩を置きながら飲むカクウチなどもその名残りであろう。

 酒飲み文化は長い歴史の上に築き上げられてきた。酒を愛し居酒屋にお世話になり、そうでない日も晩酌を欠かさない我が身としては、長い年月をかけてこの文化を育んでこられた飲兵衛の先達に感謝の念を忘れるわけにはいかない。その思いを胸に今宵も謹んで一献参るといたそうか。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧