作品の閲覧

「800字文学館」

母の買物

濱田 優(ゆたか)

 先だって幼馴染数人で昔話をしていたとき、「昔の母親は偉かった」と断言した女友だちがいた。戦後の耐乏生活の中でも、子どものしつけや教育を疎(おろそ)にしなかった母親の姿を顧みての話である。
 ぼくも良い母親に育てられて幸いだった。
 そんな母にも年端もいかないぼくは、ときどき身勝手な不平を鳴らした。たとえば、母の長話が苦手で、近所の人とお喋りに夢中になっている母の割烹着の袖を引いてぐずったりした。
 デパートでの買物にお供するとき、しばらくは豪華な店内の雰囲気にわくわくして一緒に歩き回るが、ぼくは途中で飽きてしまう。母は予定の買物を終えた後も婦人服や子供服の売場などに立ち寄るから時間が掛かるのだ。初めは我慢していたが、そのうち別行動をして玩具やカメラ売場をのぞき、上の食堂で待ち合わせることにした。
 そう、ぼくはデパートの食堂のランチに惹かれて母のお供したのだ。
 心臓が弱い母は、いつも「救心」を携帯していて、歩くのは苦手だった。なのにデパートに入った途端、元気スイッチが入って疲れ知らずになる。

 その頃は分からなかったけれど、母のお喋りとデパート歩きの意味が、長じてから少し分かるようになった。敗戦直後は、育ち盛りの三人の子どもを抱えて朝から晩まで働き通し、さらに夜なべの内職をして家計を助けていた。そんな母の息抜きは、気のおけない人とのお喋りくらいだったのではないか。
 そして少し物が出回ってきたらデパート巡りが加わる。そこは母のワンダーランドだったに違いない。
 後年姉たちに聞いた、母が婦人服や子供服を見て歩いたのはデザインの勉強のためだったと。衣料事情が極度に悪い頃は、内職の裁縫で作るものは着られるものなら何でも、アッパッパでもよかった。だが少し落着いてくると女性は流行に関心が向くようになる。母はそれを先取りして備えていたのだ。
 そんな母の偉さを知ったのは、母がこの世にいなくなってからである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧