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「800字文学館」

能楽『鵺(ぬえ)』を観て

池田 隆

 南都春日・興福寺で見学した薪御能の最後の演目は『鵺』であった。世阿弥の晩年期の作で、平家物語の話を題材にしているとのこと。鵺は夜に奇声で鳴くトラツグミという鳥だが、平家物語や能では空を飛ぶ化け物とされる。
 芦屋の浜に来た旅僧(ワキ)が白髪のやつれた舟人(前シテ)に出会う。名を問うと、鵺の亡霊と打ち明ける。「近衛天皇を病魔に陥らせたために、源三位頼政に射落され、小舟に閉じ込められて、この浜に流れ着いた」という。僧に回向を頼み、波間に消える。
 僧の読経中に、鵺(後シテ)が今度は生前の化け物姿で現れる。鬼面を付け、赤袴で頭の赤毛を振り乱しながら、頼政の偉大な功績と自分の惨めさを詳しく語って海の彼方へ消え失せる。
 世阿弥はこの曲目で何を語りたかったのか。能を見終って、考え込んだが分らない。帰宅後に識者たちの解説を調べてみた。

 頼政の武勇と和歌の才を称讃。勝者と敗者の実相を仏教的に諦観。鵺は崇徳院の怨霊。鵺は国つ神に通じ、天つ津神の子孫の天皇家への反逆者。鵺のような複雑な人生を送り、最期は敗者となった頼政と鵺は同一体。京での栄光の座から一転して流刑の身となった世阿弥自身の述懐等々、様々である。

 夏の高校野球では甲子園を目指して、全国約四千校が覇を競う。さらに各チームで正選手になるのにも厳しい競争がある。最後に栄光を味わうのは優勝校の出場選手だけである。毎年十万人以上の高校球児が悔し涙を呑んでいる。
 英雄たちと雖も、平清盛、豊臣秀吉、西郷隆盛など、最期の心情を推し量ると痛ましい。人生は己の努力や願望、意思だけでは決まらない。生まれた境遇や才能、運不運も大きく左右する。ごく少数者を除けば、結局は皆が敗者となる。
 頭の靄がやや晴れてきた。能『鵺』も原典と同様に「盛者必衰の理」を説いている。無常観を通して、「如何に厳しくても、将来の結果でなく、今の過程にこそ人生の幸せが有る」との現実肯定観を世阿弥は語りたかったのだ。

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