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「800字文学館」

新茶

川口 ひろ子

 若葉の緑が日毎に濃さを増す頃、旧友から決まって届く贈り物がある。それは新茶。「あなたに、静岡を忘れてもらうと困るでしょ」。お礼の電話の向こうで明るい声が響く。

 変わらぬ心遣いに感謝し、早速頂戴する。富士山の伏流水を集めたかの地の水道水は大変おいしいけれど、東京の水で我慢だ。茜色のティー・マットに、グリーンの茶托、有田の染付茶碗はよく温めて、お湯は充分にさまして、気持ちを落ち着かせて静かに注ぐ。爽やかな香りが口いっぱいに広がり、とろけるような甘みが舌の上で踊る。

 富士山麓、東名高速道路富士インターあたりは県内有数のお茶の産地で、ここが私の生まれ故郷だ。
 大部分の石油ルートが断たれたという太平洋戦争も末期の頃のことだ。お茶の実を絞り戦闘機の油にするという驚くべき国家目的に沿って、遠足は茶畑だった。
 私たちはここでお茶の実を拾った。リュックサック一杯にしなければ山に置いてゆくという先生の言葉に驚いて、低い木の下にもぐり懸命に集めた。しかし期待するほどたくさんは落ちていない。こんな時に何処にも知恵の働く子はいるもので、リュックサックの下の方に土を入れ、上に茶の実をかぶせて先生に見せようと言いだした。なんて利口な子! 私はただただ感心したのだった。その日の収穫はほんのわずかであったが、山に残された生徒はいなかった。

 東京に移り住んでもう60年になる。
 両親とも江戸っ子、事情で弟と私は静岡で生まれ、成人して東京に引き上げたという経緯から、現在、故郷と私との縁は、毎年贈られる新茶と、茶畑に逃げこんだ戦時中の思い出だけとなってしまった。
 人の味覚や作法などは、時代と共に変わると言われ、昨今は、ペットボトル入りのお茶が一般的となった。
 しかし、私の舌は、「故郷の味」に拘る。丁寧に汲みだしたお茶の風味は格別。この中に、私の感性を育ててくれた富士山麓の自然のエッセンスのすべてが、凝縮されているのかもしれない。

2015年6月10日

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