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「800字文学館」

乳母車

首藤 静夫

入梅が近づき、家の紫陽花も日に日にそれらしさを増してきた。
この時期になると、三好達治の詩『乳母車』を思い出す。

 母よ――
 淡くかなしきもののふるなり/紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり 時はたそがれ/母よ 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕陽にむかって/りんりんと私の乳母車を押せ 赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を/つめたき額(ひたひ)にかむらせよ……以下略(一部ひらがなにした)。
 高校時代、この詩がテストに出た。詩中の「淡くかなしきもののふるなり」とは何がふっているかと。答案も解答も忘れた。が、この詩を思い出すたび、ふっているのは「雨」、それも入梅の頃のそぼふる雨と思ってきた。
 最近、ネットで分かったが、詩人や評論家の間では、「ふるもの」の正体について当初から議論があり、その挙句、本人に尋ねたそうだ。達治は、詮索よりも感覚で受け止めてほしいと述べ、応えずじまいだったとか。そんな難しい内容なのによく出題するよね。

 ところで、ここに登場する乳母車の子は何歳位だろうか。最近は子供の成長が早いのか、昔なら乳母車年齢の子が自転車の補助シートにバランスよく乗っている。そういえば、こんな小さな、と思える子供がペダルを踏んで必至にママの後を追っている。大した進歩だ。
 そのヤングママもすごい。すり抜けていく自転車の速いこと。ぶつかりそうな狭い路地や四辻もものかは。後ろの子が振り落とされはしまいかと思うほどだ。中には、後ろの確認もなく道路を斜行したり、少々の赤信号は無視したりと、ママたちは忙しそうだ。
 それもそのはず、夫を送り出し、子供を学校にせかし、幼児を保育園に預け、自分はパートに急行する。朝のエアロビ教室にぎりぎり駆け込んでくるママもいる。たくましいママに育てられ、たくましい子供に仕上がることだろう。
 『乳母車』のように、郷愁を誘うロマンチックな風情は、文芸の中で味わうことにしよう。

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