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「800字文学館」

ボッティチェリとルネッサンス

川口 ひろ子

 「ボッティチェリとルネッサンス」展の副題は「フィレンツェの富と美」。
 プロローグとして、屋根のない美術館と言われるフィレンツェの街を写したパノラマ写真が飾られ、次に金貨が展示されていた。
 優れた芸術も、経済力という豊かな土壌がなければ花は咲かない、という主張であろうが、先ずは金貨! と、堂々と展示する美術展もユニークだ。

 15世紀のフィレンツェ、画家サンドロ・ボッティチェリは、金融業で成功したメディチ家をパトロンとして多くの傑作を生み出した。
 富豪たちは、高利貸しを禁ずるキリスト教の戒律に対する贖罪として、利益を美術品に投資した。
 今回は、代表作「ヴィーナスの誕生」や「春」は来日していない。
 しかし、富を芸術に昇華させる。この精神は、現代の企業メセナ運動にも受け継がれている、というテーマの下、80点に及ぶ絵画や工芸品の展示は、一種独特の説得力を持っていた。
 初期から晩年までの多くの作品の中で、ボッティチェリの円熟期に描かれた、幅5メートルを超えるフレスコ画「受胎告知」が素晴らしかった。神の子を宿したとのお告げを、驚きもせず、首をかしげ、伏し目がちに聞くマリア、赤茶色のインテリアに映える鮮やかな青の衣装が美しい。

 栄華を誇ったメディチ家も政治抗争に敗れ失脚、次に出現した修道士サボナローラは、贅沢で退廃的な社会を糾弾して政治の実権を握る。彼の思想に深く共鳴したボッテチェリは、画風を、暗くて地味なものに変えて行く。
 エピローグとして、晩年のテンペラ画「聖母子と6人の天使」が展示されていた。どの顔も伏し目がちで、最盛期に比べ劇的な変化は見られないが、甘美で華やいだ感じは消え、沈鬱な絵に仕上がっていた。
 大きく方向転換した晩年のボッティチェリ、工房への注文は激減し、1510年、失意と貧困のうちに他界したという。

 時代の波に翻弄され、金貨に背を向けた画家は、前半生で才能を使い尽くしたのかもしれない。

2015年5月14日

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