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「800字文学館」

シラクーサのトロさん

藤原 道夫

 トロさんは、シラクーサで出会ったガイドの名である。ずんぐりしてお腹が出っ張り、髪の毛が薄い南イタリアでよく見かけるタイプの中年男性。私がシチリア島を巡る団体旅行に参加した折に、シラクーサ北部の考古学地区を案内してくれた。

 シチリア島巡りの旅も終わりに近づく頃、シラクーサを訪ねた。そこは古代ギリシャの一大植民地だったところで、多くの遺跡が残っている。トロさんは午前十時半頃州立考古学博物館の前で待っていた。入館すると、膨大な展示品の中から代表的なものについて要領よく説明しながら(私たちは通訳されて知る)足早に進んだ。ランドリーナのヴィーナスとよばれている彫像については特に丁寧な説明があった。狭い後側に回って、腰のえくぼまで見せて貰った。

 昼食後に古代ギリシャ劇場を見学。観客席全体が広く、傾斜が緩い。舞台方向が開けていて、遠くに海が見渡せる。現在も夏にギリシャ演劇が上演されているとか。舞台上の声が客席にどう届いてくるのか、興味深いところ。
 次に観光スポットとして有名なディオニュシオスの耳に。動物の耳状に大きく裂けた入り口から洞窟内に入ると、話し声が響き渡った。洞内についての説明も興味深かったが、面白かったのはトロさんのデモ。「帰れソレントへ」を謡ってくれた。先ずカンツォーネとして、次にモダーン・ジャズ風に、そしてパヴァロッティを真似て。歌いながら微妙に腰を振りながらズボンを持ち上げようとするしぐさが滑稽で、終わったときには皆拍手しながら笑いこけた。

 その後ギリシャ時代の砦に行った。トロさんは自分の仕事はもう終わったと判断したのか、説明をせずに土手の草(ウイキョウの若芽)を摘みはじめた。夕食に予定している「いわしのパスタ」のソースに使うという。皆でこれも愛嬌かと、熱心に草を摘むトロさんを見ていた。こんなことで考古学地区の見学は終了。一同ほのぼのとした気持ちを抱いてトロさんと別れた。

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