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「800字文学館」

ジャズと津軽三味線

平尾 富男

 もう十年以上も昔、青森県黒石市に住む友人を訪れたときのことである。

 地元の公共温泉で長旅の疲れを癒してくれたあと、津軽三味線のライブ演奏を聴きに連れて行ってくれた。その昔赴任していたニューヨークで、ジャズのライブハウスに通い詰めていたことを友人は知っていたのだ。

「ジャズと津軽三味線は生まれこそまったく異なるものの、聴く者に似たような感動を与えてくれる。ジャズと同様に、津軽三味線もライブ演奏を聴かなければ、演奏者の本当の心が伝わってこない。これから行くライブハウスには、二十年以上前になるが、有名なジャズドラマーのエルビン・ジョーンズが来て、競演したことがある」と聞かされては、逸る心を抑えられない。耳と目だけではない。湯上りの乾いた喉も地元の銘酒で早く潤したかった。

 案内された店に入ると、細長く平らな床の奥に舞台らしきものが設えてある。一見して民謡酒場風。天井の高い薄暗い小屋のような場所だ。運良く、長いテーブルの、舞台に一番近い席に陣取ることができた。普通のTシャツ姿の男女数人の若者が、テーブルを拭いたり津軽方言を冠した料理メニューを客に説明したりしながら注文を取る。

 弘前駅前近くに位置したこのライブハウスこそ、当時津軽三味線の名手として知られていた山田千里の開いた店『山唄』だった。座敷、カウンター、それに二階の客席を合わせると、合計九十席程あるこの店は、ほの暗く雑然とした店内の佇まいといい、そこに集まって飲み食いしながら演奏の始まるのを待っている客のアットホームな雰囲気といい、昔通ったイースト・ヴィリッジのライブハウスを髣髴とさせてくれる。

 やがて演奏が始まった。先程のTシャツ姿の従業員の一人が、三味線を抱えて折りたたみ椅子に座り、撥で弦を力強く叩いている。そのリズムはジャズそのもの、中途半端な素人芸ではなかった。

 そこは、山田を師匠と仰ぎ集まった若き演者たちの修業の場でもあったのだ。   

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