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「800字文学館」

十歳違いの断絶

池田 隆

 憲法九条や国防問題が急に現実味を帯びてきた。マスコミや仲間同士でも、賛否両論が飛び交う。同じ高齢者でも年齢層で意見が対立する傾向がある。青少年期の社会環境の差によるものであろう。
 終戦を挟む十数年間の劇変は歴史的にも特異である。その期間の記憶や体験の有無が、七十年近くを過ごしてきた人同士であっても、考え方の違いを生んでも不思議ではない。「十歳違いの断絶」である。
 現在八十歳以上の昭和一桁生れの人は、終戦時に小学校高学年以上の年齢であった。戦争の悲惨さを十分に経験した。理屈抜きに、「戦争は駄目」と述べる人が多い。当時の先生や大人たちの豹変ぶりに驚き、今も国や政府の権威筋に対して心からの信頼を置いていない。
 一方、現在七十歳以下の昭和二十年以降に生まれた世代は、米軍占領期の記憶はなく、戦中戦後の極度のひもじさも知らない。右肩上がりの社会で人生を過ごしてきた。団塊の世代の苦難と言っても、受験戦争や昇進争い程度である。意見の異なる相手を言い負かすために、自己主張と理屈を優先する。
 両者の中間、昭和十年代生れは様々だが、どこか腰が定まらない。終戦時に、同十年代前半の生れは物心がつき始める幼児期か、小学校低学年の年齢であった。昭和十七年以降の生れでは戦争の記憶はない。ただ父親を戦争で亡くした人も多い。総じて親を介しての間接的経験が主体で、戦争体験には個人差が大きい。

 先日のこと、クリミアやウクライナ問題に因んで、ゴルバチョフの述懐を特集するテレビ番組を見た。
 1990年前後に米ソ核兵器削減条約に始まり、東西ドイツの統一へと進んだデタントの最大要因は、ゴルバチョフ、レーガン、コール、サッチャーなどの各国指導者自身が青少年期に悲惨な戦争を体験していた事という。究極の交渉場面で国家の威信や国益という理屈よりも戦争忌避を最優先したのだ。彼ら世代の体験が彼ら世代と共に消えていく。嗚呼、歴史はまた過ちを繰返すのか。

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