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「800字文学館」

オランダ人がやってきた

川村 邦生

「ハロー、コンニチハ。隣にきましたヨハンです、ヨロシク」
 犬の散歩に行こうと門を出た時、たどたどしい言葉を掛けられた。こちらからも「今日は、川村です。どちらから来られましたか?」が始まりだった。
 1980年から5年間勤務したオランダ、まさか30年以上たって又そこと縁が始まるとは考えなかった。東京に住むことになり、初めての場所で、隣人が自国にいた日本人と分かりきっと安心したのだろう。その後会う毎に運河、風車、木靴等懐かしい話をする。

 彼は家族が来日する5月頃まで単身生活だ。
 アムステルダムに勤務した時、初めの半年間単身をした。単身生活は、楽しい事もあるかもしれないが、異国ではそうはいかない。
 寂しく勤務先と自宅を往復することが多い。
 彼もきっと寂しがっていると勝手に確信し、ある日出会った時、「今度、ヘリングを肴にヤングジェネヴァで一杯やろうか」と誘ってしまった。
 自国の地酒と酢漬け鰊の話が出た時、彼の驚き方は面白かった。まさか地球の裏側に来てすぐに、「自国名物の肴で一杯どう」と誘われるとは思わなかったのだろう。「オネガイシマス」と喜んで即答した。

 帰宅してその話を家内にした。ご家族が来てからの方がいいのではないかと注意された。名物とはいえ日本で販売しているのを見たことないとも言われた。
 屋台でのそれが特に美味しいと、肴にして度々飲んだ。しかし帰国後一度も食べる機会が無かった。その理由は、手に入れるのが非常に難しい酢漬けだったからだ。彼に本場以上においしいそれを食べさせようと思っていたが難しい。
 何でも食べられる東京だが、美味しいそれは食べられない。オランダでは名物食だが、地元だけのローカル食だということが分かった。
 彼に食べてもらえない言い訳が出来た。その代わりにシメサバ、もしくはコハダを日本版ヘリングだと言って食べさせてあげよう。
 強い酒、ヤングジェネヴァと一緒に飲めばその違いは分からない。

(注)ジェネヴァ:セイヨウネズを副材料としたジンのオランダ名

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