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「800字文学館」

ナターシャ

中村 晃也

 ペレストロイカの数年前のこと、ソ連のお役所との会議が一日延期になったので、モスクワの観光でもいかがと、商社の現地秘書を紹介された。モスクワ大学の新聞部卒で英語が喋れるという。

「始めまして、私はナターシャ・〇×△ドロワです。今日一日モスクワの名所をご案内します」という彼女は、髪の毛と同じ灰色の、人懐っこい瞳をした女の子だった。背丈一六〇センチほどの細身の体形に、太編みの毛糸の帽子、ベージュのオーバーコート、黒いブーツ、赤い皮の手袋といういでたちである。
 赤の広場に行きクレムリンやレーニン廟、葱坊主の搭のある聖ワシリー教会の外観を一望した。プーシキン美術館では、ルノアールの「黒い服の娘達」、ゴッホの「赤い葡萄畑」など著名な絵画を見ることができた。

 昼食は、「外人用ホテルの高級なレストランか、労働者の集まる食堂しかないので、近くの私のアパートで食べないか」と言われて、好奇心に駆られ同行した。タクシーで約十五分、薄汚い四階建てアパートの二階の一角に着いた。かび臭い板敷の四畳半ほどのDKと十畳くらいの居間兼寝室のみで、古いソファーベッドの上にソニーのラジオが吊るされ、床にはフラフープが無造作に置いてあった。
 ポットでコーヒーを沸かし、黒パンを食べた。コーヒーは挽いた豆をそのまま煮るので、上澄みを啜るか、殻を歯で漉しながら飲むしかなかった。

 午後からは共産党本部の高いビルや豪壮なボリショイ劇場の建物を見学し、三時頃商社に戻った。翌朝日本のお土産を事務所に持参したが、彼女に会えなかった。
「ナターシャはバリバリの共産党員で我々商社も監視されているのです。昨日彼女の父親が亡くなったという電報が入り、昨夜のうちに彼女はモスクワを出ました」とのことだった。

 最近、TVで年とったチャフラフスカを見て、急に彼女を思いだした。
 あの痩せぎすな女の子も、今頃はデブデブのオバアチャンになっているのだろうなと。
 自分の体形のことはさて置いて…。

二十七年二月

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