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「800字文学館」

荒崎海岸の隠れ宿

平尾 富男

 三浦半島の西側の突端に荒崎海岸という景勝地がある。荒々しい断崖と狭い海岸に突き出した奇岩で形成された地形が特徴的。近隣の横浜や東京という大都市からの手軽なピニック観光としても人気があるようだ。最近では横浜横須賀道路から三浦縦貫道路が延びて、東京・横浜方面から車でのアクセスも大変よい。

 海岸の絶壁の上に、海鮮懐石料理の一軒宿があるという。同行した友人が前日に昼食の予約を入れてくれていたので、車で出掛けた。何の変哲もない田舎道を上っていくと林の中に隠れるようにその宿はあった。小ぎれいな構えの玄関の横には小さな空き地があって、未整備の駐車場になっている。既にジャガーやベンツが駐車してある横に、洗車していないトヨタを停めるのが恥ずかしい。

 靴を脱いで案内された昼食客用のテーブル席に着くと、相模湾、富士山、大島が一望でき、荒崎の男性的な岩礁に打ち砕け散る波の音が聞こえてくる。八人まで収容可能な食堂は、この時は偶々我々三人だけの貸切状態だ。近くの長井沖漁港にその日の朝揚がった新鮮な魚介類を、腕のいい料理人が調理して出してくれた。車の運転をしなくて済めばビールか白ワインと一緒に料理を味わえたのにと、とても残念だ。今度来るときには一晩泊まりでと秘かに決心する。

 客室数がたったの八つという宿は、温泉は出ないものの大浴場では超軟水風呂が楽しめるという。「お望みなら専用露天風呂付きの客室もありますよ」と女将がウインクしてみせる。何といっても、都心から僅か一時間の距離にある眺望抜群の静寂な場所にあるから、隠れ家として利用する著名人も多いとか。一泊一人二万円からだから決して高い料金ではない。有名人ならずとも気軽に利用できそうだ。

 二人分近い料金を払って一人で泊まりに来る常連客もあれば、人目を忍んで訪れるカップルもあるらしい。「手頃な別荘代わりに使うのもお奨めですよ」と、手馴れた客扱いの女将さんは如才がない。

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