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「800字文学館」

悩ましき内視鏡

野瀬 隆平

 気が付いたら、ゆったりとした黒い椅子に座っていた。周りを見渡すと、白いカーテンで囲われている。
 ここが何処なのか、分かるのにしばらく時間が掛かった。やがて、徐々に記憶が戻ってくる。
 そうだ、内視鏡で胃の検査を受けていたのだ。体の左側を下にしてベッドに横たわり、白いマウスピースを咥えさせられるまでは、いつもと一緒だった。だが、そのピースをテープで口に張り付けるのは、初めてだった。

 胃の手術をしてかれこれ十年、毎年内視鏡の検査を受けている。しかし、なかなか慣れず、むしろ苦しさが年ごとに増してゆく感じがする。検査の時期が近付くと、苦しさを想像し心の中で膨らませて悩んでいる。我ながら情けなく馬鹿げていると思う。特に昨年は、まだ経験が浅い若い女性の医師にあたった。指導員のアドバイスを受けながら操作する。下手なのか相性が悪いというのか、これまでになく苦しい思いをした。
 そこで、今年からは担当の先生にお願いして「鎮静剤」を使うことにしたのである。当日、間違いなく投与が指示されているか心配になり、検査室の受付で確認すると、カードに「Sedation希望」と書き込まれていた。鎮静剤の投与を希望という意味だ。こうして検査は始まった。

 ベッドの上でマウスピースを付けた後、右手の人差し指に小さな器具が取り付けられた。脈拍や血圧を測定するためであろう。次に、左手の袖をまくり、採血をする時の様にゴムバンドをする。いよいよ、鎮静剤を静脈注射で投与するのだ。針を絆創膏で腕に固定する。意識があったのはそこまでだった。
 あれだけ悩ましく思っていた内視鏡の検査が、あっけないほど簡単に終わってしまった。よーし、これで次回からはもう悩まずに済むと心底ホッとする。

 数日後、担当医と向かい合っていた。検査結果が申しわたされるのだ。
「幸い異常は認められませんでした。これで手術後十年間の検診も終わったので、来年からはもう検査の必要はありません」と告げられた。

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