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「800字文学館」

尾崎咢堂の生誕地にて

清水 勝

「憲政の父」といわれる尾崎咢堂は、憲政記念館(旧尾崎記念館)が国会議事堂の傍にあることや、東京市長時代にポトマック河畔に桜を寄贈したことから、東京出身だと思い込んでいた。
 そうではないと知ったのは、三軒茶屋と津久井を結ぶ津久井街道(鮎の道)を歩き終えたときだった。津久井の街並みから外れた又野という地に『尾崎咢堂記念館』があったのだ。なぜ?と記念館に入ったところ、担当の方から丁寧に説明を受けた。
 尾崎行雄(咢堂)は記念館の立つこの地に生を受け、11歳まで過ごした。明治23年の第1回衆議院選挙に初当選して以来連続25回当選、昭和28年95歳で落選するまで、60年10か月という議員最長在任記録を樹立した。では、その選挙区はというと三重県の伊勢・志摩であった。父親が新政府の役人であったことから、その転勤に伴い尾崎行雄も2年間伊勢に住んでいた。父親は退官後も伊勢に居たことから、第二の故郷である三重から立候補したのだ。
 調べてみると、60年間支え続けた選挙民は、尾崎行雄の高潔な人格を信頼してこう語っている。「尾崎代議士を選出しても、政府から補助を取るのに骨折ってくれるわけではない。道ができ、橋がかかったわけでもない。これを承知で、国のために働いてくださる人と辛抱強く、25回も推してきた」と。
 地元利益誘導、支持団体の利益代表のような国会議員の多いことと、またそれを期待しての投票姿勢には改めて考えさせられた。有権者は政治屋を作るのではなく、政治家を育てるべきだと思う。利己ではなく利他の精神に富む政治家であり、それを支持する有権者であって欲しい。
 昭和21年の憲法改正案が上程されたときの尾崎咢堂の演説は興味深い。
「かくのごとき良い憲法を行うに当たっては、よほど良い心掛けが無くては実行できないと思いますが、いかなる心掛けがあるのかを、委員長はじめ、主として満場の諸君に伺いたいというのが私の質問の主旨であります」

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