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「800字文学館」

東ベルリン潜入

中村 晃也

 チューリッヒからベルリンに飛んだ。一九八八年当時は東西を分かつベルリンの壁が厳然として存在していた。
「東ベルリンに行かれるのなら…」とホテルのカウンター。「チャーリーポイント(CP)で一日観光券を買うと行けますが、くれぐれもご注意を。カメラは持っていかないように」

 CPからの、東行きのバスの乗客は十数名。米国地区からバスで川を渡るとすぐに東の検問所だ。橋の手前に看板があり、「貴方はアメリカセクターを離れます」と英、露、仏語で書いてある。
 三十メートルほどの緩衝地帯の先にバリケートがあり、厳めしい態度の東側の兵士がパスポートをチェックする、と同時にバスの下に鏡のついた長い棒を差込み不審物の有無を調べる。

 検問所では、天井までの高さのベニア板で仕切られた狭い通路を辿り、一人ずつ一坪ほどの審査室に入れられる。正面の机に軍服の検査官が座り、両側の屈強な兵士に挟まれる。凄い緊張感だ。
「東へのパスポートがない? では一日だけ通用する観光券を発行する」と言われ三十マルクを支払った。
 東側の街路は閑散として、角ごとの自動小銃を肩にした兵士は、身体は大きいがまだ少年っぽさが残っている。商店はほとんど商品を置いていない。店員の姿もない。

 地図に従って博物館島への橋を渡る。ベルガモン博物館の入場料は五ペニッヒ。お目当ては、バビロンのイシュマール門だ。ラズベリー色のタイルに浮き出たライオン像の列。この壮大な美術品を壁から引きはがして持ち込んだ見識と気力に感心。
 暗い館内にはコツコツと衛兵の長靴の音が響くのみ。いつもどこからか監視されているような圧迫感。緊張感。追い立てられるようにして館内を回っただけで、えらく疲れ、エジプト館に周る気力が萎えてしまった。

 これに比べれば日頃の女房の圧迫感は大したものではない。その夜日本へ電話した。
「どうしたの? 急に電話などして。用がないなら電話代がもったいないわよ。いくら会社が払うからといっても」。声を聴くだけで心が和んだ。

 それから一年後、ベルリンの壁は崩壊した。

二十六年十二月

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