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「800字文学館」

武士は喰わねど高楊枝

稲宮 健一

 隣国では「蠅もたたくが、虎もたたく」と汚職追放に血道を挙げている。明治の初期、清国、日本を訪れたシュリーマンが、日本の人夫がチップを受取らないと感心していた。

 『悠遊』の原稿を書くため、日本の文化に関する本を読んでいるが、長期的に見ると成程と思えるところが多い。近代日本は平和な江戸時代から多くを引き継いた。江戸時代は三千万人の静止人口で、人口の七%の武士が社会を管理していた。武士は江戸や、藩の中心地に住い、年貢米相当の俸禄で生活していた官僚、サラリーマンであった。大名は将軍から土地を封土さているが、人を含めて領地の所有権を与えられていない。ここで権力と富が分離している。商人は低い階層だが、その活動に束縛はなく富を築いた。商業は武士の管理外であった。

 幕藩体制下の武士はこの体制の正当性を信じ、忠誠を尽くして仕えた。同時に、この正当化の教義の枠外にあって知行合一を説く陽明学が武士の心に深く浸透いった。この教義を実践する中江藤樹、熊沢蕃山は無私の自分の内面の良心に従い、社会に行動を起こすことが必要と考え、帰農することで規範を示した。大塩平八郎の乱はこの教えに従う幕藩体制に対する反乱であった。

 同時期に国学の流れがある。本居宣長は原始の時代からの日本人の精神生活を探求し、純粋な大和心、「まごころ」を表した。そして、神代から連綿と続く宗教的な側面も明らかにした。平田篤胤の時代にはこの考えが純化され、他の宗教に対する神道の優越へと繋がった。黒船来航の時代になると、幕藩体制は崩壊し、大塩、平田の門人達の「救民」という理想化された目標は「攘夷」と置き換えられ、水戸学の流れを汲む尊王の考えが加わり全土に広がった。

 この延長上に明治維新がある。維新は体制、即ち権力の変革であったが、当時の国富の源泉である、農、商の階層には大きな不連続はなかった。日本では権力、即、富ではないことが、争いが少ない国にしている。

(二〇一四・十二・十一)

参照:テツオ・ナジタ著「明治維新の遺産」、坂野潤治訳、講談社学術文庫

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