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「800字文学館」

返り咲く木犀の香に

志村 良知

 今年は、木犀の返り咲き(二度咲き)が盛んだった。横浜の大倉山近辺ではほとんど全ての木犀が返り咲きの花を付けて、得した気分がした。返り咲きの花はこころなしか色が薄いように思えるが、香りは変わらないようだ。
 木犀の季節は、ふと漂う香りに「えっ、もう」と驚いて見回すと、早咲きの銀木犀が白い花をつけていたりする所から始まる。丈夫で、日当りさえ良ければ旺盛に育ってきれいに花を付ける木なので庭木に多く、季節に散歩していると、ずっと香りに包まれ続ける。今年のように返り咲きが盛んであると、断続的であるが、一ケ月以上に亘って楽しめる。
 鶴見川の新幹線鉄橋の下流に百メートルあまり続く並木がある。一本一本も大きく、花期にここを歩くのは至福である。堤に桜は珍しくないが、木犀並木は意表をつく。初めて見た時は古代遺跡に出会った時に通ずる驚きがあった。
「いったい誰がこんなものを」

 山梨の生家に大きな木犀がある。身びいきでなく、それより大きな木は三島大社以外では見たことがない、という位の巨木である。ただ、庭の南東に位置し、すぐ脇が通路である上、冬に庭への日差しを妨げるので野放図に枝を伸ばさせるわけにはいかず、時々植木屋を入れ、かなり強く刈り込む。いつどの位切るかは代々の当主の重大関心事になっている。というのもこの木には、村はもちろん、近郷にも花と香を愛でに来てくれるファンがいるのである。

 昭和24年晩秋、前年に南方の戦線から帰還した新家の兄やんが結婚した。生家が馬降りとなり、花嫁はこの木犀の花の下に降り立った。

 父が、三十代での句作から約四百句を選んで手書きした句集「槻陰」の中にその情景を詠んだ句がある。

返り咲く木犀の香に嫁ぎきぬ   黙榮

 海外駐在していた時、雨につけ風につけ「いかにいます…」と故郷の父母や友と共に思った新家のおじさん・おばさんである。しかし、おばさんは駐在中に、力を落としたおじさんも間もなく逝ってしまった。

注;新家=分家。兄やん=総領息子。馬降り=花嫁は馬降りの家で馬(車)から降りてしばし休息後、仲人夫人に案内され、徒歩で花婿の待つ婚家に赴く。

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