作品の閲覧

「800字文学館」

オテル ラ ルネッサンス ア ブリュイエール

志村 良知

 フランスのロレーヌ、ボージュ山麓の小さな町ブリュイエールには「第442アメリカ歩兵連隊通り」という名前の通りがある。442連隊は上級将校以外全員がハワイとアメリカ本土からの日系二世からなる部隊だった。
 丁度70年前、1944年10月、冷たい雨中でのブリュイエール解放戦の激しさは、アメリカ陸軍公式戦史に特記されている。それに続くボージュ山中でのテキサス大隊救出作戦も大損害を出しながら成功し、二世部隊の名を歴史に刻んだ。
 ブリュイエール近辺の第442連隊の戦跡を巡る旅では、町にただ一軒のホテル「ラ・ルネッサンス」に泊まる事になる。

 町の真ん中にあるそのホテルは、ロビーのバーに集まる客たちが目当てのPMU(フランス競馬公式場外馬券売場)の看板の方が目立った。
 入口の料金表は条件別に細かく書かれていて、二人でシャワー・バスタブ付きの部屋に泊まり、二食付きだと一人56ユーロになる、と判るまでかなり時間がかかった。
 バーのカウンターと兼用のレセプションで貫禄充分な主と宿泊の交渉と手続き、脇には手動の電話交換機が鎮座していた。
 内部は、アール・ヌーボー発祥のナンシーに近いせいか、ホテル名に反してアール・ヌーボーを意識したと思われる装飾であるが、かなりいい加減である。ベッドは田舎ホテルにありがちな寝ると体が20センチは沈み込もうかという位のボワンボワン。しかし、バスルームの鋳鉄製の閂は外して持ち帰りたくなるような時代物だった。

 夕食は広いレストランに5,6人。定食のみであるが、キジのローストに白アスパラの酢バターソースという豪華版。50がらみのシェフとその娘だという20歳位の小娘がサービスしてくれる。こんな田舎の宿に何用があって泊るのか、という先入観のせいか、そこにいる客はみんな曰くありげ、しかし全員が「誰だ、こいつらは?」という訝しげな視線を浴びせかけたのは、片隅の東洋人カップルなのであった。


正式には;Rue du 442eme Regiment Americain D'infantraterie Liberateur de Bruyeres Octobre 1944(1944年10月のブリュイエール解放者、第442アメリカ歩兵連隊通り)
ブリュイエール解放は1944年10月17日。テキサス大隊.救出戦闘は10月27日から30日まで。
この間太平洋ではレイテ沖海戦がおこなわれた。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧