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「800字文学館」

ニクノオオイオオノクニ

斉藤 征雄

 短く適切な言葉で適確に言いたいことを伝えるのは簡単なことではない。最近は「言葉力」という言葉さえある。

 キャッチコピーも短い文の代表格だが、なるほどと感じさせたり、思わずニヤリとさせられるようなセンスのよいコピーを見ると心がなごむ。「注意一秒、ケガ一生」という標語が街に貼られていた頃、「注意一秒、デブ一生」というのを作ってその才能の片鱗を見せていた女子社員が、コピーライターになる決心をして会社を辞めた。もともとユニークなキャラクターの彼女はその後それなりに業界で活躍しているという噂を耳にしたが、この世界はやはり人とはちょっと上をいく感性が必要なのだろう。

「山本山」でお馴染みの、上から読んでも下から読んでもは意味内容を伝えるものではないが、「ニクノオオイオオノクニ」という逸品がある。伝統的には「ワタシマケマシタワ」があるが比較にならないほど素晴らしい。作者はわからないが、こんなことばを創造できるのは天才以外の何者でもないと思う。努力して生み出せるようなしろものではない。

 替え歌も有効な表現手段である。若かりし頃コンパで歌った春歌の多くの名作は替え歌だったし、カラオケでウイットにとんだ替え歌を作って場を盛り上げる才人もいる。これも特殊な能力が必要のようだ。私はサラリーマンの終りの頃、三田明の『美しい十代』を六十代と読み替えて時々歌ったがそのうち自分の単純さに嫌気がさしてやめた。才能がないということは悲しいことだ。

 伝統的な本歌取りはいつの時代にもよくつかわれる。学生時代に寮の部屋の壁や天井にびっしり書かれた過去の住人の落書きを、丹念に読み調べた友人がいた。その無益な作業の中から発見したものを宝物のように見せてくれたのが次の本歌取り。
 一つ二つ音はすれどもからぶきの 実の一つだに出ぬぞ悲しき

 友人はすこぶる真面目な顔で、やや品格には欠けるが確かな生活実感が伴う秀逸な作品と説明してくれた。本歌はいわずもがな。

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