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「800字文学館」

秋深き隣は何をする人ぞ

池田 隆

 秋の夜長、芭蕉の名句集をパラパラと捲っていて、「秋深き 隣は何をする人ぞ」の句に目が留った。その第二第三句(中七、座五)の成句を、私は出典も知らずに使ってきた。しかも隣人との関りが少なくなった現代社会に対する警句の意と取り違えていた。
 句の解説を読むと、芭蕉は死の二週間前に旅先で体調を崩し、予定の句会に出られず、他人にこの句を託したとのこと。「深まる秋、ひっそりとしていると、隣にも同じような人がいる。いったい何をしている人だろう」と隣人への関心を示し、晩秋に自分の孤独感を重ねて、秋の人恋しさを表現した句という。

 文学に疎い私だが、その解釈では何か物足りない。肯いてみたものの、自分なりに深読みもしたくなる。
 多くの俳諧では雅語でない俗語や漢語を入れて、諧謔的な文体としている。この句の第二第三句ではさらに文全体を俗な日常の話し言葉にして、目新しさと面白みを醸し出す。内容も俳諧の真髄である好奇心を直接表現している。
「秋深き」の第一句(上五)が文法上の連体形になっているのも興味深い。その後に続くべき名詞は何だろうかと読む人に思わせながら、第二句につながり、最後に「ぞ」でスパッと切り、印象を高める。
「秋深き」には晩秋という表の意味に加え、歌言葉として、「寂しい、悲しい」、「ものごとの終り近く」、「晩年」の本意があり、さらにそれは「飽き」に通じる。
「秋深き」はたしかに彼自身のことであり、病んで大事な句会にも出席できない寂しさを述べている。さらに「寝ているのにも飽きあきした。句会が終ったら此方へ寄ってくれ」と弟子たちに伝えているのかも知れない。
 第一句に続く第二第三句では一転して、自分の死が近いことを知りながら、まだまだ好奇心旺盛の姿勢を示す。この句は「奇」を好む飽くなき態度こそが俳人の心構えであると、隠喩的に言い遺しているのではないか。俳諧の先駆者、大成者としての芭蕉の偉大さを感じる秀句である。

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