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「800字文学館」

東京新宿中村屋

中村 晃也

「昨日、中村屋でカレーを食べました」とか「かりんとうが美味しいですね」などと良く話しかけられた。
 我が家が古くから、現在の新宿七丁目(旧大久保村)にあったために仕事先では、晃也さんは中村屋の御曹司だなどというデマが飛び交ったものだ。

 東京・新宿中村屋を開業したのは、戦前では数少ない女性創業者である相馬良である。彼女の実家は仙台伊達藩の評定奉行を勤めた家系で、彼女は宮城女学校、横浜のフェリス女学校で学び、キリスト教の洗礼を受けている。
 早稲田大学の前身である東京専門学校卒のクリスチャン、信州穂高村出身の相馬愛蔵と結婚し、本郷の東京帝大正門の近くに暮らしていた。近くの中村屋という屋号のパン屋を見て、パン屋の経営を発起し、新聞に「パン屋買いたし」の広告をだしたところその店が応じてきた。
 明治三十四年(一九〇一年)クリームパン、クリームワッフルを創案し、五年後に新宿追分に支店を開設、二年後そこを本店とした。

 日本の近代彫刻の開拓者荻原碌山は良の崇敬者で、中村屋の近くにアトリエを開き、これを契機に高村光太郎や中原悌次郎ら多くの彫刻家、画家が集まった。いわゆる「中村屋サロン」である。活動の一環として、良は早大の島村抱月ら少壮教授陣とロシア文学研究会を立ち上げ、これが縁で松井須磨子や水谷八重子らもやってきた。また、ロシアの盲目の詩人エロシェンコを逗留させ援助した。一九一五年には亡命中のインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボース(娘俊子と結婚)をかくまった。また、一九二四年インドの詩聖タゴールが来日の折面談し、留学生の交換を促進した。
 一方お店では、一九二七年に純インドカリーライスを日本に紹介し名を馳せた。
 このように著名な芸術家、芸能人、学者や外国の有名詩人を保護援助することで中村屋のイメージは華やかなものであった。

 それに引き替え旧大久保村の中村家は、当主が企業OBペンの末席を汚すのが精いっぱい。誠に情けない存在ではある。

平成二十六年九月

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