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「800字文学館」

フィンランドと日本

野瀬 隆平

 夜ストックホルムを出港した船は、次の日の朝フィンランドのトゥルクに着いた。出迎えてくれたのは、当地に住んでいる日本人のガイドだった。
 さっそくバスに乗り込んで、市内の観光へ向かう。木造の家屋が残る旧市街でバスが停まった。左側に一軒のパブがあり、「Port Arthur」の看板が掲げられている。Port Arthurとは、旅順港のことだと言う。何故、そんな名前がついているのか。

 フィンランドはおよそ100年の間、帝政ロシアの支配下にあった。国民は独立を願っていたが、そのチャンスが来た。1917年、革命で帝政ロシアが崩壊したのである。そのきっかけの一つとなったのが、日露戦争でロシアが負けたことだ。
 ガイドの小学生になる息子が、現地の学校で日本のことを勉強してきたと言うので、何を学んだのかを聞いてみると、日本がロシアに勝った話だと。その象徴的な場所を、旅順港であるとこの国の人たちは思っているようだ。

 何年か前まで「トーゴー」という名のビールが売られていた、との説明もあった。東郷元帥を称えてその名が付けられたのだろう。
「旅順港」という名のパブで、「東郷ビール」が飲まれていたのを想像するのは、日本人として愉快である。ただ、帰国して調べてみると、「東郷ビール」というのは必ずしも正確ではないようだ。フィンランドで、世界各国の提督をラベルに使ったシリーズのビールが発売され、ネルソン提督などと並んで、東郷さんもその一つとして、ラベルに登場したというのが本当のところらしい。
 ついでながら、スウェーデンと領有権を争っていたオーランド諸島について、当時、国際連盟の事務局次長だった新渡戸稲造が、これをフィンランド領と認め、ただし公用語はスウェーデン語とする旨の裁定を下したことも、忘れてはならない。

 ロシアに隣接する国では、トルコも同じような理由で親日国であるのはよく知られているが、ここにも宿敵を打ち負かしてくれた日本に好感を抱いている人たちがいることは間違いないようである。

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