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「800字文学館」

多摩川にアユが戻る

稲宮 健一

 昭和三十年代の終わりごろ、生活用水で汚れた野川の黒い水が流れ込む二子橋付近はドブ臭かった。東横線から見えた丸子橋そばの田園調布の取水堰には洗剤の白い泡が立ち、あの水を飲まされているとは気分が悪かった。急激な経済成長と裏腹に、汚染が身近に迫っていた。ラルフ・ネーダーの活躍が新聞をにぎわした。

 え! その多摩川にアユが大挙して遡上している。今年の遡上数は推定で五百四十一万匹、四年連続で五百万匹を超えた。ここ五年程で急激に増えた。しかも、漁協の人は最近、香りが一段と良くなったと言っている。アユの一生は川を下った稚魚がきれいになった東京湾の豊かなプランクトンで育ち、清流の多摩川に遡上し、産卵し終わる。水質改善の努力が実ってきた。

 日本人にとって魚は大切な蛋白源と共に、食文化の担い手だ。その魚の食物連鎖は総て植物から始まる。海中に浮遊するプランクトンが餌となり、小魚が育ち、順々に大きな魚が育っていく。従って、燦々と照る太陽の光を吸収した豊かに育った森、その中を流れる河川が栄養素を海に運び、魚が育つ。

 一方、乱獲で魚の減少が叫ばれている。鮭の放流は成功例であるが、川に遡上する性質のない、魬、鯛、鮪などは生簀を使った海面養殖が盛んだ。水産業の発達した日本では国内向けに漁獲量を確保するのに有効であるが、もっと視野を広げ、世界の漁獲量を増やす対策がないものか。太陽光からもっと沢山のプランクトンを育てればいい。太陽光は浅い所にしか届かないので、届く海浜に海藻が繁茂する漁礁を配置する。そこで生命の基、植物の光合成を行なわせるのだ。漁礁の標準タイプを作り、大量生産で単価を下げて世界中の海浜に埋めたら世界に感謝される。漫然と海水を温めるのでなく、炭酸ガス吸収のため、マングローブを河口付近に植えているのと同じは発想だ。未だ人類は地球に達する太陽光エネルギーの一万分の一しか取り込んでいないので、もっと太陽は使える。

(二〇一四・七・二四)

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