作品の閲覧

「800字文学館」

泳げ、タナゴくん

首藤 静夫

 タナゴという淡水魚をご存じでしょうか。以前は川や湖沼などで広く見られたようですが、めっきり少なくなりました。形はフナに近く、一般に体高の高い小型の魚です。日本には十数種類が生息しているそうです。
 初夏のこの季節は繁殖期です。雄は鮮やかな婚姻色になります。雌は産卵管がお腹から長く伸びてきます。大きな二枚貝のエラに産卵し、貝の中で孵化します。これはタナゴだけの特徴です。それやこれやで人気の観賞魚です。
 私はそのうちの1種、バラタナゴの雄1尾・雌2尾をショップで買い、小さな水槽で飼っています。繁殖期なので貝も用意して準備万端です。雄は、雌を必死に追いかけています。(稚魚が貝から出て来るのが楽しみだ。)
 ある日、雄がじっと動かないのに気づきました。見ると片側がかなり傷ついています。何かで引っ掻いたようです。
 水替え、隔離、薬液注入などで1週間ほど様子を見ましたが改善しません。 おそらくダメだろうと思いました。そこで考えました、
(こんな水槽で死なせるよりは、近くの川に放してやろう)
これは危険な行為です。ルーツがわからない魚を安易に放つと生態系を乱しかねません。
 迷いましたが結局放すことにしました。この川にタナゴは生息しておらず、産みつける貝もいません。遺伝子混合の問題はないと思いました。

 浅瀬を選んでそっと放しました。タナゴはじっとしています。もはや泳ぐ体力がないのか? このままでは鳥の餌食になるぞ。
 一度手のひらに戻そうとした時です。フラフラと動くや、様子を見ながら右に左に泳ぎはじめ、後は水を切ってスピードを速め、視界から見えなくなりました。
 このタナゴは人工繁殖されたものでしょう。窮屈なケースの中で孵化し成長し、自然の中で泳ぐのはこれが最初で、そして最後となるでしょう。元気なうちに存分に泳ぎたかったことでしょう。
 残った雌に貝が2個。雄のいない水槽の中はひっそりしています。
 さてどうしたものか。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧