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「800字文学館」

「ゆらぎ」考

池田 隆

 料理を作りながら考えた。レトルト食品を初めて食べた時は、その美味しさに驚く。だが二度目三度目となると、急にその感動が萎んでいく。手作りでは毎朝、同じような味噌汁やサラダを食べても平気である。赤味噌、白味噌を適当に合わせ、ドレッシングの塩や酢を自分で加減すると、失敗もするが飽きは来ない。工場で厳格な品質管理の下で作られた食品よりも、いい加減な家庭料理の方が口に長続きする。

 全く変わらない物や現象に向うと何か心が休まらない。或る中心点の周辺を不規則に変動する、いわゆる「ゆらぎ」が有る時に落着きを感じる。波や松籟の音は聞き飽きないし、暖炉の炎は見飽きない。視覚や聴覚も味覚と同じなのだ。
 人間でも同じである。考えが節操なく変わる人は論外だが、石部金吉、頑固一徹、教条主義な人は直ぐに嫌になる。よろめく程ではないが、心ときめき、ゆらゆらするから異性には惹かれる。それは自分の心の「ゆらぎ」が、対象の「ゆらぎ」に共鳴しているせいだろう。

 考えはさらに飛躍していく。「科学」は森羅万象を思考上の「概念(注記参照)」によって括り、その間の因果関係に再現性、一般性、定量性が有ることを前提とする体系である。ところが概念を構成する個々の物象には「ばらつき」が有り、かつ「ゆらぎ」がある。
 概念をその構成要素の時間的かつ空間的平均値として捉えると、大方の場合は今挙げた科学の前提が成立つ。しかし個々の物象を対象とする場合には、「ばらつき」や「ゆらぎ」のために科学はしばしば無力になる。科学は万能でない。
 たとえば、個人ごとの心理や生命現象、ある機器の事故や故障、特定の地点時刻の地震発生、それらを科学で正確に予測する事は不可能である。
 そうだ食品メーカーにも助言してみよう。衛生管理は厳格なほど良いが、味には消費者から飽きられないために、乱数発生器などで意図的に「ばらつき」や「ゆらぎ」を適当に持たせてみてはと。

(注記)『広辞苑』の説明を要約すると、「概念」とは事物の本質的な特徴(内包)の意で、その内包をもつ事物(外延)全てに適用される。例えば「人」という概念は人の本質的特徴(理性的動物、ヒト遺伝子など)であり、外延はその特徴をもつ全ての事物(人)。経験論では概念は事物の共通特徴を取り出し(抽象)、偶然的な相異点を捨てる(捨象)ことで成立する。

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