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「800字文学館」

父の背中(上)

新田 由紀子

 中折れ帽子に背広姿の男が日本橋を歩いている。意気揚々とカメラに向かって来る。背後には欄干装飾が見える。1枚の褪せたモノクロ写真の中の父。深川木場で材木屋を営む30歳の働き盛りだ。背広など着込んで誰と何の用事で出かけたのか。戦後はや5年、首都の復興需要をうけて、木場は急速に焼け野原から再生した。戦地から戻った兄弟も加わり、家業は軌道に乗ったところだ。気分が良いとつい軍歌が口をついて出る。
 男体山や 鬼怒の水 雄々しく清き 心かな
 若き誠を 胸に秘め 護国の剣 腰に佩き
 御旗の下に 身を捧げ 軍務に勇む ますらおよ
 栃木県塩谷郡船生村、農家の四男坊として生まれる。兄弟姉妹は11人。日光連山の水を集めて流れ出る大谷川が、母なる鬼怒川に注ぐ山紫水明の地に育つ。村の神童と騒がれたが、学業は高等小学校で終えた。畑仕事もそこそこに、水の流れに運ばれるように関東平野を下って東京に出る。木場の材木問屋に住み込むと、材木担いで丁稚奉公。目鼻がつくと、設立まもない木材配給統制会社で用材のイロハを体得する。徴兵されて満州駐屯に赴くが、帰還後は那須郡黒磯町鍋掛村の農家の長女と結婚。宇都宮で世帯を持つ。戦局慌ただしく再び招集を受けるも、運良く終戦を内地で迎えた。
 終戦直後の混乱期を雑貨の小商いでしのぎ、木場が復興するや、戻って家業を再興した。写真はこの頃のものか。まもなく、妻の産後療養のため木場を兄弟に託して武蔵野郊外へ転地する。慣れぬ土地での商売はふるわず、丁稚時代のつてをたどってさらに移転。畑をつぶした土地を借りて再開業した。この地で40年、74歳で病没するまで材木を担ぎオート三輪とライトバンを走らせ、2人の子供を大学に入れて成人させた。
 記憶にある父は作業服に印半纏を着て額に汗を浮かべている。肩を出したランニングシャツの背中に汗が光る。そんな父のある若い日、紳士然と帽子を被り日本橋を闊歩する姿は微笑ましくも胸を打つ。

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