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「800字文学館」

生月(いきつき)島

平尾 富男

 ポルトガル船でザビエルが平戸に来航したのは1550年。その後、時の幕府は1639年にポルトガル船の日本渡航を禁止した。オランダの商館も閉鎖され長崎の出島に移転される。日本の鎖国が事実上始まり、平戸は歴史の表舞台から姿を消したのだ。
 今でも、「大航海時代」の西欧の地図にFirandoと記載されていた異国情緒豊かな市街を散策することが出来る。ザビエル記念教会と正宗寺、光明寺、瑞雲寺が隣り合わせに石畳の坂道に沿ってひっそりと建っている景観は、歴史の街・平戸を象徴している。
 平戸の素晴らしさは歴史だけではない。標高200㍍の丘に広がるのが川内(かわち)峠である。30㌶もの草原とそこから臨めるパノラマの絶景は、長閑で美しい広大な大自然なのだ。

 生月(いきつき)島は、その平戸島の北西にあり、全長1,000㍍近い大橋で結ばれている。江戸時代には最大の捕鯨拠点があった。島の北端の断崖絶壁に立つ白亜の大バエ灯台から見渡す海と空と緑が、旅人の心を癒してくれる。
「いきつき」(生月)という島名の由来は、遣隋使・遣唐使の時代にまで遡る。中国から日本へ帰国する旅人は船上からこの島を見つけた。大海原の長旅を生きて無事に帰ってこられたとホッと安堵の息をついた、と伝承されている。
 この島では隠れキリシタンの歴史を学び検証することが出来る。ザビエルが平戸を訪れて以来のカトリック布教と、その後の幕府の禁制による信者の殉教の歴史が今日もなお息づいている。古いキリシタンの形態を残しながら土着の信仰と習合し独自のものとなって今も生きているが、現在のバチカンからは認められていないというのは残念でならない。
 島に設置されている「平戸市生月(いきつき)町博物館・島の館(やかた)」には、日本最古の捕鯨業関係史料や隠れキリシタンの聖画など、他では見ることが出来ない貴重な資料も数多く展示されている。
 都会に住む現代人が生月島に旅すれば、喧騒とストレスを忘れさせてくれる「息つく」島であることを実感するのだ。

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