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「800字文学館」

トイレ考

川村 邦生

 人間が生きている証拠とは何だろう。空気を吸う、吐く、食べる、飲む、考える、欲する、排泄する。大雑把に分けるとこんなものだ。他と違い排泄について書かれる事が少ないのは何故か。不浄と扱われているからだ。インド駐在、神戸勤務時での大震災、そして介護現場を見た経験などからトイレの事情を考えた。

 インド人の多くの人は階級、貧富に係らず後始末は水だ。全世帯の半分以上が排泄を外でするほどトイレの無い所が多く、川、海、野原、森ですます。水入手桶をぶら下げた姿をたびたび見かける。さすがに外国人が来る主要都市のホテル内トイレには紙が備えてある。人口が10億を超える国でトイレに紙を使う比率が増加すると世界の森林があっという間に無くなると言われている。世界中で後始末に紙を使用する比率は30%程度であり、大半は水、石,砂、土、葉、縄、木だ。紙を使えと押し付けると世界が大変なことになる。

 阪神淡路大震災の時はトイレで苦労した。飲料水と同様生活用水の確保が難しい。バケツを両手に持ち給水車に並ぶか、井戸を持つお宅にもらい水に行く。マンションの上層階は更に持ち上げる苦労がある。その貴重な水を使わざるを得ない水洗トイレであるが、流せる間はいい。しかし配管トラブルで禁止された時は大変である。自宅では排泄が出来ず、共同簡易トイレまで走ることになる。その点一戸建はいい。庭に溝を掘り板を渡し、ダンボールで囲い隠し立派な青天井のトイレを利用出来る。排泄後は土をかけて順々に移動する。紙も使えるレトロなトイレだ。温水洗浄トイレ等便利に慣れすぎた我々は、いざという時の対処方法に苦労するのではと心配になる。

 高年齢者になり介護おむつが必要になった時、トイレは使わない。ある友人がお味噌を使いおむつ体験を検証した。それは天国と地獄の差だと言った。何時までも落ち着く場所で、ゆっくりと自身で排泄し、そして温水洗浄トイレで始末する。それが人間の尊厳だ。

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