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「800字文学館」

忘れ得ぬ眼差し

木村 敏美

「敏美ちゃん、よく来てくれたね、ありがとう」
華やかなざわめきの中、叔母は高校生の私にしっかり目を見て言った。孫の結婚披露宴に呼ばれた時の事だ。叔父は福岡市で有数の材木商であったが脳梗塞で倒れ、その後叔母が采配し店は栄えていた。

 遡ると、我家は引き揚げて田舎で暮らしていたが、私が十歳姉が十三歳の時、叔母を頼って街に出た。しかし、一年後父が事故で突然他界。その時住まいから母の仕事まで世話してくれ、何とか生活できたのは叔母のお陰だった。叔母はそれを望む様な人ではなかったが、家も近く母の気使いもあり、姉と私は学校が休みになると手伝いに行った。新築されたばかりの広い廻り廊下を米糠で磨く事や、店の人に配る菓子パンを早朝取りに行く手伝いで、出来たてのパンの甘い香りは空き腹に堪らなかった。当時は世話になっている有難さは分からず、武家屋敷の様な門をくぐる時は気が重かった。

 中学に入ると手伝いは無くなり叔母とは滅多に会う事も無かったが、披露宴で初めて身近に人柄に触れ、母が言う立派な人だと実感した。
 その後就職祝にと深く輝く紺色のベルベット生地を戴き、そのスーツは三十年以上手離さなかった。また、成人式には姉にも私にも着物と帯が届き、晴れ着を着た時の喜びは大きかった。今見ても、姉と私の個性をよく見て色も柄も選ばれたのだと思う。昭和四十三年、結婚祝に寝具と「これからは女性も運転免許を取りなさい」と時代の流れを読んだ助言をもらい、ほんとに役に立った。

 初めて会った時、六十半ばを過ぎておられただろうか、太っ腹で恩着せがましさが無く人望も厚かった。良く透る太い声は歯切れが良く、キラリと光る目の奥に優しさと温かさがあり、その眼差しが忘れられない。博多のごりょんさんだ。結婚と同時に福岡を離れ、その後会う事もなく数年後旅立たれた。店は大きなマンションに変わり、今は偲ばれる物もないが、せめて書く事で感謝の気持ちを残したい。

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