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「800字文学館」

カメラ今昔

池田 隆

 終活としてアルバム整理を始めたが、思いは写真からそれを撮ったカメラの方に向う。
 幼少期の写真の主役は戦中戦後に写真屋が黒い布を被って撮影した家族写真や学校での集合写真である。父が撮ったべた焼きのスナップ写真も有る。片開きの蓋を開けると蛇腹とレンズが出てくる舶来の小型写真機を使っていた。
 昭和三十年代の学生時代になると、父のキャノン製高級カメラを借用し、自身で撮った写真が増えてくる。底部からフィルムを装填する機構には神経を使ったものだ。
 大判の写真は自宅で引伸し焼付を行った。現像液のなかで像が浮び上ってくる時の緊張感を思い出す。ハーフサイズのオリンパスペンで気楽に撮り出したのもこの頃である。やがてカラー写真が登場する。当初は高価なプリント代を敬遠し、もっぱらカラースライドで我慢していた。
 カラープリントが昭和三十年代の後半に普及し始める。当時、コダックなどの欧米製フィルムは高嶺の花で、使うのはフジやサクラの国産フィルムだった。半世紀以上が経ち、アルバムを開くと変色が著しい。その点モノクロ写真はどれも健在である。
 初めて海外出張に出向いた昭和四十三年に、会社からの支度金でアサヒペンタックスの一眼レフを買った。これが私の愛用機となった。旅行先や家族の写真はこのカメラで撮っていた。
 昭和五十年代に入ると通称バカチョンカメラが普及し、プリント代も下がり、他人から貰う写真の量が急増する。一枚一枚の写真の貴重さが消え、アルバムの整理も追いつかず、箱の中にそのまま直行する写真が多くなる。
 デジタルカメラが平成十年頃に登場し、急速に機能を充実させていく。私の愛用ペンタックスもついにお蔵入りとなる。写真がますます乱撮りされ、印刷も省かれ、PC画面で一度見て終りというケースが増えてきた。
 じっくり狙いを定めて撮影し、丁寧に印刷するのは趣味のフォト句用の写真位である。写真が多過ぎて、却って印象に残らない時代となった。

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