作品の閲覧

「800字文学館」

魚追ひしかの海は(1)

首藤 静夫

 見わたせば兎も鮒もなかりけり 浦の苫屋に松風の音
 いきなりジョー句?で失礼、私は九州の半農半漁の村で生まれ育ちました。唱歌『故郷』のように野兎の駆ける山はなく、まわり一面水田と民家でした。小鮒はいたでしょうが、子供たちは見向きもしません。松林の先に遠浅の海が広がっているからです。昭和30年代のことです。
 私たちの遊び場は海でした。ヤスを握り、漁師の小舟に勝手に乗りこみ、魚の群れを追いかけました。網など積んでいない空舟なら漁師は大目に見てくれました。子供たちはそうして棹や綱の扱いに慣れていくのです。
 夏休みは地引き網漁を手伝いました。二手に分かれて綱や網を引くのです。はじめは延々と綱だけを引き、最後は追い込んだ魚を一網打尽にします。
 引き揚げた綱を手繰り寄せ、舟の中に納めていくのが子供の仕事です。海水に浸かった綱は結構重いものでした。
 舟の移動も子供が行います。引き手双方が徐々に間隔を狭めるのに合わせて舟を移動させるのです。漁師が子供たちの舟遊びを叱らない理由がお分かりでしょう。

 昔はたくさん獲れました。ブリ・タイなどの大物、アジ・サバなどの青物、カレイ・コチなどの底物、アナゴ、キス等々。
 網小屋の前で分配です。半分以上は網元が取り、残りを勢子(せこ)に分けます。しかし子供には雑魚が多いのです、あれほど働いたのに……
 武じいという人がいました。分配の前に大籠から2、3匹くすねて陰に隠すのです。子供たちは帰路、じいの悪口をいいながらも、洗面器いっぱいの雑魚をもらって得意顔です。
 この海はその後埋め立てられ、水田も宅地化され、村の昔の面影はありません。漁業・農業の補償金を得て多くの村人は働くことを止めました。パチンコが日課という話も聞きました。区画整理された道路、補償金で建てた立派な家そしてパチンコ通い……
 村の中は人の気配がありません、エビ網を繕う姿も、田の草をとる人影も。
 あの武じいさえも懐かしいくらいです。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧